醤油絞りの職人

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麹屋の手配で醤油絞りに携わった職人の一人に、昭和十七年ころから昭和三十六年まで携わった農家がある。その農家では二毛作田での米麦の他に、養蚕・メカイも作っていたが、麹屋の手伝いから醤油絞りを始め、農閑期には専門の仕事になるまで忙しくなったのである。醤油絞りに出かけた地域は、多摩川の北側は現在の昭島市、武蔵村山市、立川市、国分寺市方面までで、南側は八王子市上柚木・下柚木、町田市小野路、稲城市方面までであった。距離のあるところは、泊まり掛けであった。季節に入ると毎日醤油を絞る作業は続き、雨が降っても先方に雨をよけて作業をする場所があれば、出かけたものであった。連日作業は続き、ピークとなる一月には一か月で二八日間作業が続いた年もあった。
 農家が醤油を仕込んでいる量は麹を売った量で分かるので、事前にその帳簿を写しておき仕事の計画をたてる。基本的には一人で出かけるが、醤油を仕込んだ量の多い農家へ行く時は二人で出かけていた。
 絞る仕事に一日、その翌朝に樽詰めをして、次の農家へ道具をリヤカーで運ぶ。その繰り返しである。その移動を考えて、一つの地域の農家を端から順にまわる計画を立てて出かけた。近い所では、道具を次の家へ置いて自転車で帰ってきて、翌日早朝に出かける。多摩川の北側方面は、先方の農家へ泊まり込んで作業と移動を繰り返した。そうした遠方で泊まり続ける場合でも、衣類が汚れる仕事なので、洗濯物を取り替えに一週間に一度くらいは家へ帰っていた。なお、早朝から仕事を始めるので、食事は三食とも農家で食べる。通う場合も、農家で朝食を用意しているので朝六時には家を出ていた。こうした醤油絞りは、昭島市にもいたが規模が小さく、手広く麹の販売と醤油絞りを行っていたのは一ノ宮地区の麹屋と職人であった。