水車は農家の個人所有の小型のものと精穀(せいこく)を専業とした大規模なものとがあった。例えば関戸地区には個人所有の小山水車と、岸の水車と呼ばれた五、六軒共同の水車と、賃搗(ちんつき)を業とする川久保水車の三つがあった。小山水車は箱車と呼ばれる形の水車で箱が円周上に四、五個つき、これに上から水が落ちて回転する方式のものであった。岸の水車はもとは岸家が所有していた営業用のものを農家が共同で買い取ったものだった。
精穀所は製粉・精米・精麦を仕事とした。装置を動かす動力は水車から得ていたので○○精穀所とは呼ばず○○水車の通称で通っていた。
これらの多摩村の水車所有者と由木村の水車所有者が水車組合という同業組合を構成していた。組合の行事として深川(江東区)の水神様にお参りに行くこともしていた。