7 桑市

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 昭和十二、三年ころまで、春蚕の時期に桑市が立った。どの養蚕農家も春蚕を最も多く飼ったので、蚕が育ち桑を食べる量が増える。特にタイミン(四眠)から起きた蚕は桑を食う食欲が旺盛で、自家の桑だけでは不足する農家が出てくる。そうした農家の需要に応ずるために、桑に余裕のある農家が持ちより、売買する市が立ったのである。春蚕の時期の桑の管理は枝を元から切ってきて、葉をこき落として蚕へ与える。その枝ごとの桑を売買するのであった。
 タイミンから起きるころから上蔟(じょうぞく)するころまでの間が、桑が不足する時期で、その間に桑市が立ったのである。桑市が立ったのは東寺方地区の、当時雑貨商を営んでいた森沢商店の前であった。森沢商店の前には毎年春蚕の時期に市が立ったが、中和田の十二神社の入口の道でも、幾度か桑市が立ったことがある。
 桑に余裕があり桑市へ持ち寄る農家は地元の東寺方地区や和田地区にもあったが、八王子市の柚木や町田市の小山田方面から運ばれてくる桑も少なくなかった。凡そ直径一〇センチほどの束を六把で一駄とし、大八車や牛車に幾駄も積んで運んできた。中には桑だけを育てている農家もあり、そうした家は牛車に山のように桑枝の束を積み上げてきたという。
 桑市の立つのは夕方からで、早い時間に着いたものは乾燥してしまわぬように、森沢商店の桑室(くわむろ)へ入れておかれた。桑室は間口二間、奥行き三間、天井高一間ほどの地下室で、上階は森沢氏の蚕室となっていた。持ち込まれる桑は立て掛けておく。寝かせておくと桑葉が痛んでしまうからであった。
 市の立つ時刻には、桑を買い求める農家の人が集まり賑やかになる。買いに来るのは、一ノ宮・和田・東寺方地区の養蚕農家が多かったが、その他の周辺地域から買いに来る人もいた。森沢氏の手配のセリ人により、手際よくセリ落とされていく。桑は六把一駄の単位でセリに掛けられ、売りさばかれていた。森沢商店では、運ばれてきた桑の量とセリ落とされた値を帳面に記し、後に精算していた。