8 マブシ屋

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 養蚕農家で使用する用具の一つにマブシがある。蚕が繭を作る際の上蔟用具で稲藁で作るマブシは藁マブシと呼ばれ、稲作をする農家は自家製造したものである。稲藁を山型が連なるように交互に畳んで織るので、製造作業はマブシ織りと呼ばれていた。
 多摩市域で養蚕を手掛けていた農家も藁マブシは自家製造していたが、北多摩の小平市・立川市の砂川方面などの畑作地帯の農家では、稲藁を買ってマブシを織ったのである。それに着目してマブシを製造し、北多摩の畑作地帯の養蚕農家へ販売する仕事を始めた人が、大正期に和田地区に現れた。その家では一人で初め、昭和初期には二人ほど人を雇ってマブシ織りを商売としたのである。
 材料の稲藁は和田の農家から買い集め、マブシ織りの器械で織る。一人のころは藁を自分で買い集め荷車で引いて運んでいたが、人を雇うまでになると材料の藁も多く必要となり、運ぶ藁は馬力に運んで来てもらうほどの量となった。買い集めた藁は、イナムラに積んで置き、順次家へ運びマブシに織った。マブシを織る器械は、木枠の中へ、その両側へ両開きにつけた板で藁を交互に折り込んで行く道具であった。
 北多摩の得意先が毎年増え小金井方面まで広がり、その得意先をまわって注文を取り、冬の間に量産したのである。そして、春蚕の始まる前に馬力を頼んで得意先へと運ぶ。運ぶ前日に馬力に引かせる車へ、二メートル以上たかく積み、当日、夜の開けぬ前に出発した。