昭和40年ごろの連光寺地区馬引沢。縁側で日向ぼっこをしながらのお茶。縁の下には薪がぎっしりと積んである。出回りはじめたばかりの魔法瓶がある。
(増田邦男氏提供)
市域の明治生まれ、大正生まれの方々から「昔は自給自足の暮らしだった」ということをよく聞く。田畑で作った作物を食べ、機を織り、山から薪を取って暮らすのが当たり前であったという。手入れのいきとどいた山林には、茅(かや)場やまぐさ場があって村の共有財産となっていた。雑木林の木から薪や炭を作り、質のよい山の土で竈(かまど)や土壁を築いた。多摩川は、多くの漁獲物や良質の川砂を供給してくれた。ここでは、集落の周辺でどのようなものが自給できたのか、景観を復元しながら考えてみたい。