買物

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買物は日常的に行われるものではなかった。関戸地区の洋品店では、小学校の運動会の前になると、男児用のキャラコのパンツ、女児用のブロードのズロースが売れたという。ふだんの食物は自分で作っているものの中から準備するのが当たり前であったから、豆腐屋へ買いにいくのも、特別な日だけであった。運動会の前日には、稲荷寿司を作るために油揚げを買う人も多く、豆腐屋が繁盛したという。
 有山昭夫家文書の「萬大寳惠帳」には明治四十五年から大正五年までの金銭出納の記録があって、おもに出金について細かな記載がある。表4-2は、明治四十五年と大正四年の記載から出金の項目を月別にまとめたものである。この表の項目数は税金と祝儀不祝儀、交通費も含まれているので、それらを抜いて買物だけをみると一年間でおよそ二五〇項目くらいであった。両年を比べてみると、年間の数はそれほど変わらず、また十二月がたいへん多くなっていることがわかる。

写真4-1 萬大寳惠帳

表4-2 明治45年、大正4年買い物の項目
明治45年
購入品の項目数 衣食住に関する主な項目名
1 22 干うどん、甘酒麹、青海苔、みかん、傘
2 20 干うどん、甘酒麹、青海苔、みかん、傘
3 24 酒、糸こんにゃく、駒下駄、染賃
4 19 酒、塩せんべい、大釜、茶碗
5 31 餅菓子、饅頭、麦穀帽子、下駄、小傘
6 22 生鰯、蒟蒻、油紙
7 18 塩せんべい
8 20 昆布、黒砂糖、さらし餡、焼酎、晒、金だらい
9 14 なまり、菜種〆賃
10 28 酢、塩、マッチ
11 23 さんま、鰹、饅頭、子供草履、反物、袖口、甲斐絹
12
(含む大正元)
56 塩、みかん、鮭、反物、裏地、晒木綿、フランネル
合計 297
大正4年
1 34 酒、昆布、黒砂糖、みかん、三盆、手拭一反、包紙、ろうそく
2 6 甘酒麹、鰹節、黒砂糖、青海苔、フランネル
3 9 串柿、せんべい、ガス糸
4 33 菓子、鰹節、饅頭、塩、提灯、染賃、目醒時計
5 22 菓子、こんにゃく、酒、砂糖、小傘
6 11 黒砂糖、白砂糖
7 22 せんべい、天津桃、駒下駄、帽子
8 24 南瓜、焼酎、黒砂糖、酢、鰹節、水飴、白砂糖、擂鉢、造花、芋穀、マッチ、味噌漉、背負板茣蓙
9 22 梨、鱒、生鯉、豆腐、酢、ろうそく、綿、糸
10 30 菜種油、鰹節、三盆糖、塩、菓子、染賃、背負板油紙、綿、裏地、糸、草履
11 32 みかん、昆布、菓子、餡パン、葛粉、糸、裏地、駒下駄
12 47 さんま、さんま開き、鮭、反物、紅染粉、フランネル
合計 292
※項目名は記載の通り。12月の項目名のうち31日の分は略した。31日の買物は表4-3参照。

 十二月三十一日は、府中市の大国魂神社で晦日(みそか)市がたち、正月を迎えるための必要な品々を買いにでかけた。晦日市では、まず背負い籠を買い、そこに買物をした品々を入れて帰ったという。大正元年十二月三十一日の記載は表4-3の通りである。「籠一ツ」から始まるのはどの年も同じである。三十一日は、背負い籠いっぱいに買ったものを入れ、最後に子どものために凧を買って、壊れないように籠の上にのせて帰ってきたものだという。
表4-3 大正元年12月31日の買い物
三十一日
一金四十八銭 籠一ツ 一金三拾五銭 洗足々袋
一〃弐拾銭 手水盥一ツ 十半 一足代
一〃十八銭 鱈一尾 一〃弐拾銭 フランネル
一〃弐拾五銭 秋水魚(ママ)五十   有切
一〃十四銭 子供三尺帯 一〃四十銭 子供
一〃三拾銭 仝襟巻一ツ 帽子二ツ
一〃十六銭 針箱一ツ 一〃拾四銭 紙鳶四ツ及
一〃十銭 スキ油代   糸代
一〃三銭 神酒口三ツ 一〃十銭 手袋一ツ
一〃弐銭 ザツキ五ツ 一〃弐拾弐銭   数ノ子
一〃四銭 青海苔四伏   一升
一〃六銭五厘 浅草ノリ一状 一〃拾銭 切鳥賊代
一〃八銭 駒下駄一ツ 一〃拾弐銭五厘 隠元豆五合
一〃三拾五銭 子供下駄 一〃壱円五十銭 ○○○○○○
四足 一〃五銭 太神宮
一〃弐拾七銭五厘 鼻緒七足代   御札代
一〃十五銭 葱一把代 一〃六銭 釜〆代
一〃拾銭 ○○鼻緒      入四十五円七十銭
十足      ○○四円八十九銭
一〃十銭 蓮根代       ○一円五十銭


写真4-2「萬大寳惠帳」の大正元年12月31日の記載


写真4-3 大国魂神社の晦日市(昭和39年)