薪切りや炭焼きは、十二月から三月までであった。薪は、木小屋や主屋の軒下や縁の下に一年分を積んでおいた。茅は十二月に刈り、冬の間に屋根替えをした。
写真4-4 薪切り(昭和56年)
一月十四日の繭玉や、三月節供の餅は多めに作って乾燥させ、農繁期の間食にした。正月十一日についた餅は水餅にした。涼しいところに置いて上手に水を替えると、田植えころまで食べることができた。
味噌や醤油を仕込むのも春先であった。醤油は、仕込んでから一年を過ぎた春に業者に絞ってもらった。
冬の夕食には、ニコミとよばれる煮込みうどんを作ることも多かった。大根、干葉(ひば)、人参、里芋などを入れて作った。冬の間は、野菜が少なくなるので、土中に埋めてある大根、人参、ごぼうや、保存しておいた切り干し大根や干葉、イモガラなどを利用する。この時期はさつま芋を多く利用した。朝、大釜で蒸かしておき、間食に食べ、残りは囲炉裏のテッキで炙(あぶ)って食べた。