写真4-24 継ぎのある長着
大正十年生まれの落合地区出身の女性は、嫁入りのときに持ってきた晴れ着を縫い直して長く着ていたという。この着物を例に一枚の着物がどのように使われていったかをみてみよう。
この着物は、この女性の母親が織った布を自分で縫って嫁入りのときに持ってきたものだという。布は、紺色の地に白と浅葱(あさぎ)色の縦縞が入り、横に肌色を入れた格子である。縦糸と地の紺色は木綿糸であるが、横に入っている肌色は、タマンメエから取った生糸である。このような木綿と絹の二種類で織った布を母親はマザキとよび、外出するときに着るような上等の着物にしたという。一機で二反分できるので、この女性と兄嫁の二人がもらい、この女性は、外出用にタモトの袖の着物に縫って嫁入りに持ってきたのである。里帰りなどの外出用として、衿を繕いながら一〇年ほど着たが、その後、元禄袖に縫い直し、普段着にしたという。普段着にして一五年くらい着たが、とうとう膝に穴があき、上下に切ってウワッパリにした。さて、兄嫁に分けられた方の一反であるが、これも外出用の着物になり、そこに生まれた娘が嫁になるときに持たせ、二代で着ていたという。
写真4-25 リフォームしたウワッパリ
図4-8 ウワッパリ
(袖にゴムを入れ、切り落とした下半分のいたんでいない部分を使い、袖、衿の補修をした。)