米を減らさない知恵

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収穫した米がすべてその家の食料になるわけではなかった。戦前は、自作農よりも小作農の方が多かったので、収穫した米は、小作料、肥料代などの支払いにもあてなければならなかった。また、冠婚葬祭などの貯えも必要であったので、ふだんの食事では、できるだけ米を減らさない工夫がされていた。
 ご飯に麦や粟などの雑穀やさつま芋などを混ぜて炊くのもその一つである。夕食時に、ご飯が足りないが新たに炊くほどではないというようなときには、余りご飯に野菜や芋類を加えて雑炊やオジヤにするといういわゆる米をのばす方法もあった。
 夕食にご飯を炊かずに、ニコミやニダンゴを作ることもあった。これらは、うどんや団子を野菜をたくさん入れた汁で煮込んだものである。また、さつま芋の時期には、さつま芋を蒸かしておいて、食事の前にさつま芋を食べさせ、ご飯をたくさん食べないようにしたこともあったという。
 粳(うるち)の粟は早くに作らなくなったが、糯(もち)の粟は多摩ニュータウン開発のころまでは作っていた家が多い。糯の粟は餅をつくときに混ぜて粟餅にした。ほかにキミの餅もついたという。キミ、モロコシ、それに砕けた米の粉であるヒキエなどで団子にし、間食に食べて腹の足しにすることもあった。さつま芋と同じように、食事の前に団子を食べさせてご飯をたくさん食べないようにすることもあったともいう。