箱膳からちゃぶ台へ

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多摩市域では、昭和初年までは、どこの家でも箱膳で食事をしていた。箱膳は、箱の中に茶碗や箸を収納し、食事のときには、箱の蓋を裏返しにして箱の上に置き、その上に食器を並べて使う。食事が終わると、茶碗に湯を注いで茶碗をすすぐようにして飲み、そのまま箱にしまう。食器を洗うのは、大正の初めころでは、週に一度くらい、昭和になってからでも一日一度程度であった。箱膳は、家族一人に一つずつあったが、小さい子どもは母親と一緒だったり、兄弟で一つを使ったりしていた。
 箱膳をやめてちゃぶ台にかえたのは、比較的早い家で昭和七、八年ころであった。南野のある家では、跡取りの長兄が嫁をもらったときにちゃぶ台にかえたというが、それは昭和八年であった。だいたいこのあたりから数年の間に多くの家がちゃぶ台へと移行したようである。家族が増えたり、箱膳が壊れたりしたときに、買い替えや修理をしないでちゃぶ台にかえたという家も多い。家族全員が箱膳をやめるのではなく、若い夫婦と子どもがちゃぶ台を囲み、祖父母は箱膳を使うということもあった。
 比較的遅くまで箱膳を使っていた家の例では、昭和二十七、二十八年ころまで箱膳が使われていた。八王子市にある親戚の家がこのころに箱膳をやめて土間にテーブルを置くようになったのだが、土足のままでも椅子に座って食事ができるのをみて便利だと思い、真似をしたのだという。

写真4-33 土間に置いた食卓(昭和51年)

 土間のテーブルと椅子で食事をするという習慣は、今までにはなかったことではあるが、それまでも、昼食を土間の囲炉裏で食べたり、アガリカマチに腰かけて食べることがあったので、テーブルの習慣はそれほど違和感なく受け入れられたようである。
 昭和の初期では、箱膳が壊れたので客用の足付きの膳をおろして使っていた家もあるが、客用の膳やちゃぶ台を使うようになると、今までのように箱膳に茶碗を収納することができないので、食事のたびに食器を洗い、メカイなどにふせて戸棚に入れるようになった。