煮炊きは、竈や炉で行われたが、野菜を刻んだり味噌をすったりしたのは土間の奥に設けられた流しであった。流しには、簡単な台があって、台の上に俎板を置いて調理をした。しかし、台の上は狭いので、カッテの床の上や炉の回りに俎板(まないた)を置いて野菜を刻んだりすることもよくあった。
流しの脇には、大きな水瓶があって、井戸から手桶で水を汲んでおいた。鍋や釜の墨を落としたり、根菜類の泥を落とすには井戸を使うが、飲用や料理用、ちょっとした洗い物には水瓶の水を使った。
流しにある台の下は、鍋、ホウロク、すり鉢など毎日使う重い道具があり、台の上には、味噌漉(こ)しの笊や塩の壺などが置いてあった。横には、竹を利用して杓文字や箸、米あげ笊を挿しておいた。自分の家で作った味噌は、大豆がよくつぶれていないので、味噌汁に使うときにはそのつど使う分だけすり鉢ですってから用いた。また、精米をするときに砂を使ったので、米をといだあとで笊にあげる必要があった。そのため、すり鉢と味噌漉し笊、米あげ笊などは毎日使っていた。
写真4-46 水瓶のある流し
図4-19 上の写真の説明