一年のうちで餅をついたのは、正月、小正月、三月節供、七五三などであった。ほかに、婚礼など大きな祝いごとや葬式でも餅をついた。餅をつくのは、このような特別な晴れの日であり、その日はやわらかなつきたての餅を家族みんなで食べた。しかし、大量についた餅をすぐに食べきってしまうことはなく、水に漬けたり乾燥させたりして保存し、農繁期の間食に食べていた。餅をつくときには、あらかじめ粟やキビなどを混ぜた雑穀の餅もついていた。年中行事の中には、繭玉のように団子を作るものもあるが、これも同じように上手に保存をして農繁期の間食になっていた。このように、晴れの日の食物も、一部、材料を代えたり、保存したりすることによって、日常の食生活を支えていたのである。四月八日の蓬(よもぎ)をつきこんだクサノハナ団子、五月節供の柏餅などは、季節の到来を告げるものであった。
かつて作っていた作物の中で、米と同じようにたくさん作っていたのが、麦類であった。麦飯や味噌の麹のための大麦や裸麦、うどんやニダンゴにした小麦、またビール会社と契約をして栽培したビール麦もあった。昔から作っていた小麦をひいた地粉は、現在の輸入小麦とは違ういわゆるこしの強いうどんができた。小麦、蕎麦、黍、モロコシ、屑米(くずごめ)などを粉にして作る食品は、おもに間食用であったが、大切な米を減らさない工夫でもあった。