ウマイレ・ウマイレミチなどと呼ばれた公道から敷地への入り口は一般にジョウグチと呼ばれ、正月にはジョウグチの左右に門松が立てられた。ここに門のある家は少なかったが、門構えのある上層農家でも、門を開け放つのは祭礼など特別な日で、平素の出入りには門の横のクグリを利用することが多かったという。
屋敷地には主屋(おもや)をはじめ多くの付属屋が設けられ、井戸の掘られている家も多かった。菜園もあった。日当たりのよい部分にニワがとられており、ここは穀物の天日乾燥や脱穀の場で、蓆を敷いてクルリボウで麦や大豆のボウウチも行ったので、平素からニワの表面はでこぼこに傷めないように心がけられていた。このように、屋敷地は住まう場所であるのみならず、作業場としての機能もあわせもっていたのである。また、屋敷神を祀り、屋敷墓を持つ家もあった。これらは屋敷地から少し離れた畑や山に設けている例も多かったが、その畑や山がニュータウン関連の区画整理の対象になった際、地守り稲荷と通称されていた家々の神を屋敷地内に移した家もある。その際に墓は寺や共同墓地に移したが、屋敷内に埋葬しなおした家もみられる。
写真4-54 民家と屋敷林
写真4-55 ウマイレミチからジョウグチへ
屋敷地には表鬼門(きもん)と裏鬼門があるとされ、この方角は南西か北東の方角であるが、一般にこの鬼門はあまりいじらない方がよいと考えられ、ここには便所や風呂場を設けることが忌まれていた。しかし、鬼門除けとして、わざわざ便所や風呂場を作る家もあったようである。鬼門除けとしては、よく柊(ひいらぎ)やクチナシが植えられた。
丘陵地にある屋敷地には、雑木林や竹林がすぐ裏手まで迫っていた。丘陵地にない場合でも、風除けのために樫(かし)や欅(けやき)が植えられ、屋敷地を囲むように、ツゲ・マサキ・アカメなどを用いてクネと呼ばれる生垣をめぐらす家もあった。隣家との境界にはよくオツギが植えられ、腰の高さに刈り込まれていた。ジョウグチの両側や垣根にはよく茶を植え、自給用としていた。樫の木は水をよぶといわれ、火事のときに火を除けてくれると考えて屋敷内に植えるのを好んだ。檜は火の木で火事を連想するのでよくないとか、枇杷(びわ)の木は人のうなり声がするのでよくないとか、サルスベリや樒(しきみ)はよく墓地にある木なので避けるとか、その他さまざまなよくないといわれる木があったが、実際には多く植えられていた。