A家の例

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図4-23・24は、旧落合地区の、かつて名主をつとめたという旧家の農家A家のもので、平成五年現在、市域に現存する数少ない伝統民家の一つである。図4-23は屋敷取りで、主屋のほかに、付属屋としては二階建土蔵の穀倉と物置がある。主屋の近くにある現在の物置は新しく、かつては元物置の場所にあった。物置には農具類がしまわれている。穀倉・物置のほかに、かつては木小屋(タキゴヤといった)二棟、味噌倉、堆肥小屋、牛小屋、外便所などもあった。
 東には、セドノヤマと呼ばれる山の斜面がすぐ近くまで迫っており、この斜面は竹林である。主屋の前はニワと呼ばれ、かつて農作業を大々的に行っていたころには、現在よりも広くとられていた。ウラノニワのキャラのある場所は方角的によいとされ、出産の際の後産はここに埋められた。現在、屋敷の西隅にある稲荷祠は地守り稲荷で、ニュータウン造成による区画整理以前には持ち山に祀られていたのを、ここに移したのである。

図4-23 A家の屋敷取り

 図4-24は主屋の間取り図で、嘉永二年(一八四九)の建築と伝えられている。エンガワやオロシ(庇)の部分を除き、桁行八・五間、梁行四間の規模で、整形四間取り型をとり、市域の標準的伝統民家の主屋より大きい。入母屋造りで、養蚕農家として建築されたと思われ、チュウニカイ(中二階)をしつらえている。なお、オカッテ部分には大きな改造がみられる。オロシの部分は昭和三十年ころに設けたという。
 トンボグチ(出入口)が二つあるのが特徴で、現在は下手のトンボグチが家人の出入り口、上手のが来客用の出入り口になっているが、かつては、下手が女性と作男の出入り口、上手が男と来客用の出入り口であったという。同じく、ダイドコロ(土間)もカミとシモに分けられている。以前は、シモノダイドコロに竈がしつらえてあった。
 畳敷きの居室は五部屋あり、家人の日常の生活の中心となる部屋はチャノマである。ここのコタツ部分は、かつてはヒジロのあった場所だという。あらたまった客はオクに通し、日常の来客は、カミノダイドコロや縁側、ヒジロなどで応対した。近所の人や行商人には縁側で応対することが多く、呉服屋や魚売りはしばしば縁側で荷をほどいたという。結婚のヒロメ(披露宴)は、オクとザシキの間仕切り(板戸)をとって二室をつなげて行われた。花嫁は下手のトンボグチ(Fのところ)から入り、シモのダイドコロを通ってオカッテに上がり、チャノマとヘヤを通って、ザシキ、オクという順で入室した。仲人はオクの床の間を背にして坐り、表側に新郎、裏側に花嫁が坐って、それぞれの親戚が並んだ。葬式の際の出棺は縁側からで、葬式と盆には僧侶も縁側から出入りした。

図4-24 A家の主屋の間取り