文政年間に関戸の紺屋の井上林蔵が、四国より勧請(かんじょう)したものとされ、社のある場所は金比羅山と呼ばれている。ここには、かつて砦があり、新田義貞軍と北条泰家軍の戦があった場所ともいわれている。今はないが、「物見の松」と呼ばれる老木があり、村の美しい娘が自らを捨てた男に怨念を抱き夜叉(やしゃ)となり、この松に丑(うし)三つ時になると藁人形を釘で打ち続け、とうとう男を狂い死にさせた、という伝説がある。
熊野神社の組織がそのまま管理と祀りを行っている。以前は十月十日を祭日としていたが、今日では熊野神社の祭礼に合わせて九月第二日曜に行ってる。神主・総代ほか神社役員中の三役の参拝のみがある。
写真5-3 金比羅宮