諏訪神社

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馬引沢の氏神は諏訪神社であり、祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)などである。
『新編武蔵風土記稿』に「馬引沢の鎮守なり、祭礼九月二十七日」とある。鳥居の礎石に天明八年(一七八八)とあることより、昭和六十三年(一九八八)に遷座二〇〇年を記念し、諏訪神社崇敬会を発足させた。
 神社の伝承の一つに、蛭(ひる)退治に霊験がある神様で、諏訪明神の森の見えるところでは蛭に吸いつかれることがない、というものがある。
 現在の氏子組織は、三四軒の氏子会と一四六軒からなる諏訪神社崇敬会の二つの組織が交錯して神社を維持している。当社は旧家である小形・平楽(たいらく)・増田・相沢姓によって祀られてきたが、多摩ニュータウンの開発によりその氏子域にも、多くの移住者が住み着くようになった。昭和六十一年に祭礼の担い手の範囲が徐々に不明瞭になることが懸念され、神社財産および旧来の祭祀の関係者の枠を明瞭化させることを目的に、上記四姓の本分家三二軒と古い住民である富沢・永井の二軒を加えた三四軒で氏子会を結成し、氏子仲間としての関係を再確認しあった。そして、この中から三名の神社責任役員と四名の神社総代を選出した。氏子会は独自に財産を所有するので毎年三月三十一日を年度末として決算を行っている。
 その一方、昭和六十三年には、地域に開かれた神社でもありたいとの願いから、氏子域である在来家を中心とした馬引沢自治会および移住者を中心とした馬引沢団地に居住する住民を対象として諏訪神社崇敬会(一四六名、平成七年七月三十日現在)を発足させた。そして、この会には氏子三四軒も入会することとした。今日、神社行事の大半は崇敬会の年次計画の下に執行されるようになっている。
 崇敬会の役職は会長・副会長(三名うち一名は会計)・運営委員(二二名)・地区幹事(一五名)となり、この役員と幹事らによって祭典その他の神社行事は執行される。平成七年度の会長・副会長・運営委員の人選は次のとおりで、運営委員は祭礼時に関係を持つと思われる地域の組織や団体のすべてから選出されている。
会長 (1名)   菊寿会〈馬引沢老人会〉役員

副会長(3名)   千歳会〈馬引沢団地老人会〉役員、馬引沢自治会役員、馬引沢団地自治会役員

運営委員(22名) 神社責任役員=四名、神社総代=三名、馬引沢囃子連=二名、馬引沢自治会長、馬引沢子供会代表=二名、馬引沢団地自治会長、同団地副会長、同団地子供会代表=二名、千歳会会長、消防団第三分団長、唱和会〈カラオケ会〉代表、山鳩会〈馬引沢民謡愛好会〉代表、ひまわり会〈馬引沢団地民謡愛好会〉代表、日本舞踊教師

 一方、地区幹事は馬引沢自治会域を八、団地地区を五、それにホームタウン住宅を一の計一四班に区割りして、それぞれに一名ずつ配置している。幹事は会費の徴収、お札や行事予定表の配布をその任務とする。なお、元からの氏子のほぼ半数の十数軒は毎年、運営委員や地区幹事となり、何かしらの崇敬会役員として神社に関わりを持つものとされ、関わらなかった年の翌年には、必ず地区委員に割当てられ、疎遠にならないように留意されている。
 祭礼は、昭和三十八年に市内統一の祭礼日として九月第二日曜日が提唱された時、当社は本社である信州諏訪大社の祭礼が八月二十七日であることに習い、以前どおりの祭日を守り続けるように方針をたてた。そのため、近年まで八月二十七日を本祭り、その前日を宵宮としてきた。しかし、平成に入ってからは勤め人が参加しやすいように、八月二十七日に近い日曜日を本祭り、その前後を宵宮と鉢洗いとするようになってきた。
 祭礼の内容は、例年七月末に崇敬会の運営委員会が祭典委員会となり、地区幹事も加えた会議によって決定される。準備は八月初旬の日曜日に崇敬会員に呼びかけて境内の掃除から始まる。宵宮には幟(のぼり)を建て、参道となる鳥居から表通りまで一〇〇メートルほどに注連縄を張り出す。夜になると境内に仮設した舞台を中心に奉納盆踊り大会を実施する。踊りの合間には民謡や祭り囃子が披露される。盆踊りは本祭りの夜にも行われる。
 祭礼当日は大人神輿と子供神輿・太鼓・祭り囃子の山車が巡行する。子供神輿は昭和五十一年に府中市の有志から譲り受けたもので、以来渡御を続けている。諏訪神社の旧社殿はニュータウンの区画整理に伴い昭和四十四年に解体され仮安置された後、昭和五十一年十一月に旧地に新社殿を建立遷座した。大人神輿はこの遷座から十年が経過したことを記念して、昭和六十二年に新調されたものである。神輿・太鼓・囃子の巡行先には地域内の公園や旧家の庭先の五か所ほどに休憩所を設けるが、馬引沢団地地域では比較的大きな休憩所を設け、担ぎ手をジュースその他で接待をする。接待の費用はすべて祭礼費用で賄われている。
 大人神輿の渡御には、互いの祭礼時の神輿担ぎに手助けとして人を出し合う市内の落合地区と一ノ宮地区から担ぎ手の応援がある。馬引沢では、昭和五十八年ころより市内の連光寺囃子連を師匠として囃子連が結成され、祭礼時に華を添えるようになっている。

写真5-6 かつての諏訪神社


写真5-7 諏訪神社の祭礼

 祭礼の決算は本祭りの翌日に境内の舞台の片づけなどと併せて鉢洗いとして行なわれる。祭礼費用はすべて奉納金で賄われ、崇敬会や氏子会また自治会からの援助は一切得ていない。鉢洗いは午前中に用事をすべて片づけ昼食をともにしてからお開きとなる。
 その他の行事としては、正月にお焚き上げと称して境内で大きく焚火をし、元旦の零時の参詣人が暖を取る接待をし、破魔矢やおみくじを頒布する。なお、これら縁起物の頒布は正月三が日間は崇敬会有志の当番制で受け持っている。
 また、一月十五日に小正月のセーノカミ行事のドンド焼きが、境内で行われる。崇敬会役員が団子を挿した篠竹(しのだけ)をたくさん用意し、馬引沢の子どもが午後四時ころから、ドンド焼きの火で団子を焼くものである。