当社はもと土地の旧家の萩原家の裏山に祀られていたが、ある時祈祷師(きとうし)の見立てに、村の最も高いところに祀られることを願っている、とされたところから現在地に祀られるようになり、明治時代に共有地としての登記がなされた、との伝承がある。平成七年に社殿再建落成式を行った。
氏子の範囲と組織は東部の鎮守である白山神社と全く同じとなっている。
祭日は、昭和三十七年までは、七月十五日を祭日として在来家が合同で参拝し、子供神輿の渡御が行なわれることもあった。昭和三十八年以降は白山神社の祭礼である九月第二日曜に合わせるようになり、白山神社の式典が行なわれる前に、神主・神社総代・祭礼当番が合同で参拝している。
当社は多摩市内で二番目に高い台地の上に境内が位置するため、元旦の初日の出を社の境内で拝むという行事が昭和二十五年ころより始まった。いったん途絶えたが近年復活し、地域の囃子連が焚火を燃やし、甘酒を振舞う接待を自主的に行っている。
なお、当社の境内は明治天皇野立所で、社殿の右横に記念の石標が建っている。「(表) 明治天皇御野立所 多摩聖蹟記念会会長 長尾欽也奉献并謹書 (裏)此ノ地ハ明治十五年二月十六日及同十七年三月三十日御兎狩ニ行幸ノ時御野立アラセラレタル処ニシテ天王森御野立所ト称シ奉ル 昭和十六年四月三日奉献」
写真5-9 八坂神社(昭和43年ごろ)