『新編武蔵風土記縞』では「…村ノ鎮守ナリ…棟札ニ元和四年霜月十日大旦那小宮山八兵衛助為別頭円能法師トアリコノ時ノ勧請ナルニヤ…」とされるが、口碑ではこの時再建と伝えている。
昭和五十八年(一九八三)ニュータウン建設にともない境内地の整備がなされた。白山神社の氏子範囲は近世村を引き継ぐ落合地区全域である。その氏子数は明治三十三年の「社寺明細帳」では氏子一一〇戸となっている。落合地区は五つの講中に細区分される。昭和二年九月の「糯米寄付連名」という板書きにはその講中の戸数が唐木田(からきだ)講中二〇名、中組(なかぐみ)講中二三名、山王下(さんのうした)講中二六名、上ノ根(かみのね)講中(下落合)二一名、青木葉(おうきば)講中二二名となっている。現在、講中は自治会に組織替えしているが、白山神社の氏子は、この五つの自治会(唐木田自治会四三戸、落合中組自治会一三三戸、山王下自治会六〇戸、下落合自治会五九戸、青木葉自治会七七戸)を範囲として規約に基づく奉賛会が組織され、一九五戸が会員として登録されている。平成七年時点の入会費は五〇〇〇円で、このほか毎年の祭典費用が一〇〇〇円徴収されている。会員になると「御祭礼」の文字入りの祭礼提灯が手渡されている。なお地区内のニュータウン地域で先の五自治会域意外の居住区域からは、氏子の加入はみられない。
奉賛会の役員として各講中から三名の氏子総代が選出される。この一五名中より、互選で責任総代、副総代、会計が決められる。このほか毎年各講中より三名の祭礼当番が決められ、氏子総代と協力して神社の諸行事の世話役となっている。祭礼当番の三名の決め方は、講中(あるいは自治会)によっては、家並順に決めるところもあれば、自治会内の班から一名ずつ選出するところもあり、さまざまである。五月に総会が開かれ、そこで事業報告・決算報告を完了し、新旧当番の引継ぎを行う。
昭和三十七年までは、例祭日が九月十九日で、十六日が境内・社殿の清掃日であった。昭和三十八年以降は九月第二日曜を本祭りとしその前日の土曜を宵宮、翌日を鉢洗いとしている。かつて十六日の掃除は、講中ごとに、拝殿と狛犬の周囲と表参道が下落合と青木葉、裏参道が山王下、拝殿裏と本殿の周囲が中組と唐木田と区域が定まっていた。また、二年に一度代える鳥居に飾る注連縄のねじり棒は、下落合と青木葉が担当した。戦前には神楽や獅子舞の奉納もあったが、昭和十五年で途絶えてしまった。
今日の祭礼は、八月半ばに当番と総代の三〇人が祭礼準備の会合を持ち、そこで当番中より祭典当番長と祭礼の規模を決め、また三〇人がそれぞれの役割分担を確認する。一週前の日曜日に境内と周囲を氏子全員で清掃し、宵宮に祭壇の飾りつけをする。また、この日には、参道の階段の登口に、シメキリと呼ぶ紙張りの屋根の軒先に竹ひごを伸ばし、そのひごに造花をあしらった提灯飾りの門柱が建てられる。
写真5-16 白山神社の祭礼の参道のシメキリ
本祭りの式典には、総代・当番・五地区の自治会長・農業委員・民生委員・市議会議員・保護司などが列席する。祭礼には地元の神輿愛好会である落合睦会が、自前で所有する万灯神輿と昭和五十三年に東京ガスより神社に奉納された子供神輿を渡御し、自治会ごとに作られた休憩所で接待をうけた(平成四年より神輿の渡御は見合わせられている)。神社の境内にはテント張りの受付の詰所が作られ奉納金を差し出す者には、御神酒・御札・御供物・タオルがお礼として渡される。
なお、神社の大祭費用は氏子より一律一〇〇〇円(平成七年)が徴収され、氏子にはお札とタオルが配られている。
落合睦会は、昭和五十二年頃に落合地区に居住する青年が結成した神輿愛好会で、最盛期の昭和六十三年当時の会員は三五名であった。入会は落合地区に居住することのみで制限はなかった。当初、神輿を持たない白山神社に代わって、落合睦会が、日頃交流していた近隣の神輿愛好会から神輿を借りて白山神社の祭りの賑わいとしていた。その後、平成元年に、睦会は自前の万灯神輿を新調し、白山神社の祭礼をはじめ、近隣自治会の催事や多摩市のガーデンシティーに参加したりした。万灯神輿の渡御には落合睦会の会員だけでは手が足りないので、日ごろつきあいのあった一ノ宮地区や相模原市二本松や昭島市の神輿愛好会から応援を得た。また、つきあい先の祭礼には、お礼と神輿担ぎの楽しみを兼ねて、会員が手分けして応援に出向いていた。しかし、平成三年以降今日まで、白山神社の祭礼自体に神輿渡御が加えられなくなったため、会の活動は停滞するようになり、現在睦会は自然休会の状態となっている。
十二月二十五日に大払いを氏子総代と神主が社殿にて行う。この日、氏子の希望者にはオカマジメ(ミソカッパライ)、大神宮、氏神(白山神社)、荒神、水神、屋敷稲荷などの幣束や神札が手渡される。
十二月三十日 正月を迎えるための境内清掃日で、参加者は氏子総代一五名とその年の祭礼当番一五名である。注連飾りを変え、初参り客の接待用にテントを張り、甘酒の仕込を行う。また、境内に焚火の材木を用意する。
初参りには、零時の時報とともに、社殿の太鼓を叩き、役員(総代と当番)は全員揃って神前に参拝する。社務所にはアルバイトの巫女をたのみ、この時より正月五日まで希望者には破魔矢と神社の神札が授与される。
元旦祭 正月五日以降の最初の日曜を元旦祭とし、神主を迎えて役員全員参加の神事を行う。元旦祭がずれるのは神主の都合によるものである。この日までに五〇〇〇円(平成八年)の厄除け祈願の受付をし、申し込み者分の厄除け祈願のお札が作られる。落合地区には多摩センター駅を中心に、企業や商店が多数進出しており、新年の祈願札を求める者が多くなっている。この日の夜に役員の新年会を行う。
写真5-15 白山神社の元旦祭
境内には、末社として稲荷社が祀られるが特に祭りはなく、初午に幟が上がる程度である。他に「寛政六甲寅歳 十一月吉日 落合氏子中」と刻んだ祭神不明の石祠がある。また、元は旧白山神社の裏山にあったものを、区画整理事業のため境内に移設した「土公神 安政五年二月 下落合講中」の銘が刻まれている石碑が立つが、特に伝承はない。