八坂神社

398 ~ 399
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)である。
『新編武蔵風土記稿』には記載がないが、明治三十三年の『社寺明細帳』には雑社とされる。下落合(上之根)講中(昭和二年当時二一戸)で長年祀ってきたが、平成八年では下落合自治会(五九戸)の氏神として意識されている。ニュータウン工事に伴い、昭和五十五年に現在の境内地に社殿を再建した時、下落合の各所に小祠として祀られていた山王神社・弁天神社・三峰神社・榛名神社・御嶽神社・金比羅宮・八幡神社を、八坂神社々殿内の両脇に小祠のままそれぞれ移し、相殿で祀るようにした。氏子組織として明文化された規約はないが、毎年八名ずつ家並順に当てられる祭礼当番が、下落合自治会の会員を対象になされていることから、自治会員そのものがそのまま氏子とされている。二名の総代がおり、祭礼費や年間維持運営費の徴収はなく、祭礼費は奉納金のみで行なっている。

写真5-17 八坂神社

 かつては、七月十五日が祭礼であったが、近年では七月十五日に近い土・日曜日を宵宮と本祭りにしている。土曜日は八名の当番を中心に都合のつく氏子が準備に当たり、翌日の本祭りには氏子が集まり(例年自治会員の半数位が出席)、境内に隣接する下落合集会所にて、午後から直会を行っている。昔から神事に神主は招かず地元の人々のみで行われている。
 なお、昭和五十五年ころは、落合睦会が中心となって昔からあった神輿を近隣の愛好会の応援を得ながら渡御させたが、平成三年ころより中断したままとなっている。
 なお、相殿の八幡神社だけは、昭和二十二年ころまで九月十五日を祭日として八坂神社とは別個に下落合講中で祭りを営んでいたが、いつしかその祭りも消滅してしまった。
 境内には六地蔵のほか道祖神、馬頭観音、石橋供養塔、庚申塔などニュータウン建設で所在地を失った石仏類が集められている。