『新編武蔵風土記稿』には神社名のみが記載される。明治三十三年の『社寺明細帳』では雑社とある。祀り始めの伝承として、昔、土地の三本松の祠に棲む古ぎつねを、旅人が失火により焼き殺してしまった。その後、村中に火事が絶え間なく続くようになり、狐の祟りを治めるため、火伏せの神である遠州秋葉山に代参を立て、天明二年(一七八二)に勧請したものである(峰岸松三『落合名所図絵』)。区画整理以後中組の稲荷社と同じ境内地に祀られている。
写真5-19 秋葉神社
当社は近隣自治組織である山王下(さんのうした)・中組・唐木田の三講中の在来家のみによって長らく祀られてきた。こうしたことから昭和五十三年に、東京ガスより子供神輿が寄贈されたのを機として、三講中を継承してできた各自治会域に新たに氏子を募り、一二〇名ほどによる秋葉神社氏子会を発足させた。神社の維持運営の年間会費はないが、氏子からは祭礼時に五〇〇円(平成七年)の祭典費を徴収することになっている。役員(世話人)は唐木田と山王下から二名ずつ、境内地を地域内にもつ中組は宮元ということで三名が選ばれている。このほか三講中より三名ずつ計九名が廻り順で当番となり、祭礼に際しての世話役となっている。
祭礼は十月十八日が宵宮、十九日が本祭りであった。昭和五十三年から九月第二日曜を本祭りとしてきたが、平成二年ころから四月第二日曜日を本祭りとしてその前日を宵宮としている。昭和五十三年から子供神輿を渡御させたが、五年ほどで中断し、現在は境内に飾るのみとなっている。
宵宮に当番と総代が境内と社殿を掃除し、夜九時ころまで近くの集会所に詰める。翌日は午後二時ころより総代により神事が執り行われ、その後に当番および総代中心のごく小規模な直会が行われる。祭礼が終ると氏子には、秋葉神社の神札が当番により配られる。
境内末社として御嶽神社が祀られる。上落合(山王下、中組、唐木田講中)は合同して昔から御嶽講を営んでおり、その社が区画整理以前から秋葉神社の境内に小祠として祀られている。御嶽講は以前は四月に三講中から代参人をたて、帰ると講中単位にお日待ちを行った。現在では、講への参加者も減少し、平成七年現在で三講中で四二軒となっている。そして、かつての代参に代わり、十月ないし十一月に希望者全員がマイクロバスにて総参りする形式となっている。