ニュータウン建設の区画整理以前は、社殿と境内は字中沢の谷戸の入口にあったが、昭和五十九年に現在地に遷座し社殿を再建した。その際、旧来の講中を中心に新たな分家も加えて神明神社氏子会を発足させ、現在その会員として五〇名ほどが登録されている。役員としては総代が両講中から五名ずつ、毎年代わる当番を両講中から二名ずつ割当ている。年間を通しての神社維持費や祭典費の徴収はなく、社殿の再建時に預金された神社財産と奉納金で祭りは営まれる。
祭日は、長年九月二十八日を本祭り、その前日を宵宮としてきたが、近年では二十八日に近い土・日曜日を祭日に当てている。昔は、境内に筵を敷き、料理を持ち寄り直会をした。時には、余興に芸人の芝居をかけたり、氏子の素人芝居を楽しんだ。
写真5-21 中沢神明社
現在は、宵宮に総代と当番が仕度をして神社に詰める。本祭りの神事は日曜の午後に行われるが、神主は来ず総代が執り行う。その後の氏子の直会には、茸汁と手打ち蕎麦(そば)を当番と総代の婦人方が共同して調理し食する。この習わしは社殿が新築遷座した昭和五十九年ころより始まり、今に到っている。氏子の神事や直会への参加は、任意のため全体の半数の二〇数名の出席が例年のこととなっている。
境内には寛政六年建立された大日如来座像と柱状の「羽黒山 湯殿山 月山 三山大権現」の石碑がある。