二月の初午を祭日とし、かつては前日をビシャ講と称したお日待ちが、講中二〇数軒を宿廻りにて行われた。祭りの当日には、赤飯、目刺し、油揚げを藁のツトッコに入れて社に供えた。
平成二年ころより、初午の当日、山王下自治会が中心となり幟や太鼓を用意し、また、神事も自治会長を中心として執り行われるようになった。参詣者は祭りを回覧板で知らされた講中を中心とした自治会員であるが、日中、三〇~四〇名ほどが三々五々参詣にあつまる。境内に隣接する山王下集会所では、若干の自治会費からの援助と当日の奉納の品々によって参詣者に対して軽いもてなしをする。当日は子どもたちに菓子を配ることも行われている。かつては講中から当番が出て、当日の世話を焼いたが、自治会になってからは自治会内に順番に振り分けられた行事当番組が、その役に当たるようになっている。
写真5-22 初午の日の瘡守稲荷社