『新編武蔵風土記稿』では十二所権現社として「…当社ハ、昔三田某ガ勧請スル所ナリト、サレドソノ年歴ハ伝ヘス、又三田氏ハ何人ナルト云コトモ失シタレバ、考フルニヨシナシ、例祭九月十二日、村内高蔵院持」とある。明治三十三年の「社寺明細帳」には村社で氏子が六十人と記されている。かつて和田村が、上和田七軒、中和田五軒計一二軒であったのに因んで十二社を勧請したとの伝承もある(地福重人「和田風土記」『郷土たま』第三号)。
かつての祭日は九月十二日で、昭和三十八年以降は第二日曜を本祭りとする。前日の土曜日に境内の清掃をし、幟を立てる。本祭りの午前中には氏子役員ほか奉賛会役員合計二〇名ほどが参列して神主を交えた神事を行う。その後、和田全域に子供神輿を渡御させる。午後二時ころまでに神輿を一巡させると、役員たちは境内に用意したテントの中で直会を行う。昔は翌日に鉢洗いと称し、片付けや精算をしたあと軽く役員が酒肴したが、現在はその日の夕方までにすべての片づけをすませてしまう。祭典費は奉納金にて賄われる。
写真5-23 十二神社祭礼
写真5-24 十二神社