真言宗智山派高蔵院境内の「遷建碑」によると、安政四年(一八五七)四月に和田村の住人相沢周助によって、四国の金比羅が勧請された。しかし、明治三十二年(一八九九)九月に神仏分離政策によって村内の愛宕神社境内に遷座、その後多摩ニュータウンの建設のため愛宕神社の境内地の整地にともない、昭和四十三年(一九六八)十月に再度高蔵院境内に遷座したものである。金運の神として和田地区の人々に信仰されてきた。昭和の遷座後、二~三年地元の人と住職が一緒に十月十日に法楽をあげたが、現在は住職だけが酒、塩、供物を供え、経をあげている。