山神社

413 ~ 416
祭神は、大山祗命(おおやまずみのみこと)である。
山神社の社地はかつて寿徳寺の境内地であった。寿徳寺所有の「旧年代記」によると、弘治三年(一五五七)に開山の和尚が、寺の鎮守として境内地に鎮座せしめ、三代住職守頓坊が生国の山城国伏見より神籠石を持参してご神体として祀ったという。また、別の伝承によれば、寿徳寺の檀家総代の佐伯某ら二人が、四国の大三島の大山祗命を勧請したもので、寺方村に鎮守がないところから、その神社を村に差し出したのが、氏神としての始まりであるとされている。
 明治三十三年の「社寺明細帳」では氏子数五九戸となっている。今日の東寺方自治会の自治会域を氏子範囲とするが、規約に基づく氏子組織は存在していない。

写真5-29 山神社

 かつて神社の世話人には氏子総代と年番があり、総代は四人、年番は一二人であった。年番は、ボク(近親者に不幸のあった家)の家を除き各講中からおおよその家並順に二人ないし四人ずつ選ばれ(有山二、宿(しゅく)四、山根(やまね)四、落川二)、互選によって年番長が決められ、会計をはじめ、祭り全体を取り仕切った。年番は「行事」と書いた提灯を引き継いだ。戸数が増え始めた昭和四十年代になるとこの年番制は廃止され、自治会の組から一人ずつの神社委員が選出され、かつての年番の役を勤めることになった。平成七年現在、自治会は四四組で、組長は自動的に神社委員を兼務するが、信仰行事と自治会業務を分けて考える組長の場合は、別に組内から神社委員が選任されている。自治会の組長任期が一年であるため、神社委員も同じく一年の任期となっている。こうした自治会の全面的な祭礼への取り組みは、正規の氏子組織に代わって自治会による神社祭祀の継承と見て取ることができる。
 なお、近年では長年の慣例を知らない新しく移り住んだ者が神社委員になることが多くなったので、総代を七名に増した。総代の任期は三年であるが続けてつとめることが多い。また、祭礼を円滑にするため二〇名からなる任期三年の祭礼委員を設けている。祭礼委員は地域内で祭りに関心の高い人と総代とで構成され、祭礼のあらましを取り仕切る役となっている。
 祭礼の経費は、かつて氏子が少なかったころは家割で徴収したこともあった。しかし、長らく経常的な神社費の徴収はなく、祭礼時においても奉納された金銭ですべて賄っている。
 祭日は、昭和三十七年までは九月十七日、三十八年以降は九月第二日曜日とその前日となっている。
 祭礼は、総代・神社委員のほか有志二〇名ほどの祭礼委員によって、規模や内容が事前の会合で決められると、さらに祭礼実行委員会を組織する。ここには、祭典委員になってはいないものの祭りに力を発揮してもらいたい地域の消防団、商工会、神輿愛好会、民謡舞踊愛好会などの団体や個人に呼び掛け、組織する。実際の祭りは実行委員会の中に、委員長・総務・庶務・会計・式典・受付・演芸・行事(大人神輿、子供神輿、太鼓の渡御)・警備・神酒所と休憩所の諸係が設けられ、祭礼前の準備と当日の諸役が分担されていく。
 祭りは、宵宮に演芸会を実施する。そのプログラムを準備するのが演芸係である。本祭りには、式典に続いて、昭和五十六年にできた大人神輿と子供神輿、それに太鼓を巡行させる。山神社から距離のある有山と落川地区には、神社名を記した掛軸を掲げた正式な神酒所を設けている。神輿が作られた当時は地域内全域を二日がかりで担いだが、負担が大きいことから、近年では地域を二分し、隔年ごとに担ぎ出るようにしている。しかし距離を縮めてでも全域渡御すべきとの希望もあり、年により渡御の範囲は定まってはいない。
 神輿の渡御には地域内に結成されている神輿愛好会の誠友会が活躍する。会は曳太鼓と神輿造営に奔走した一〇名ほどが中心になって結成され、結成時三〇名、現在六〇名ほどの会員がいる。祭礼時には、誠友会が普段から神輿担ぎで交流している周辺地区の神輿愛好会の応援を得ている。近年、応援にきてくれる担ぎ手は稲城市の矢野口穴沢天神社神輿会、平尾杉山神社神輿会、八王子市の粋心睦会、日野市の高幡若宮睦会、雄心会などで、総勢八〇~一〇〇名となっている。有山と落川の神酒所と神社境内での接待費を神社で受持ち、そのほか三、四か所の接待場所は地元の有志によっている。このうち東京都住宅供給公社団地の有志は、自治会を別にするにもかかわらず、巡行経路に入ることから例年有志による接待が実施されている。
 本祭り翌日は、前日の片づけをしたあと、神社役員・祭礼委員・実行委員が集合して氏子総会を開催し祭礼会計と年次会計を報告し、また年間計画や神社の諸般について協議しあう。議事の終了後に鉢払いとして昼食・酒肴を共にとり、三時ころ散会する。

写真5-30 山神社の祭礼

 なお、氏子が皆農家だったころには、一月十七日をお神酒上(みきあ)げと称して地区中の者が神社へ揃って参拝し、この日が過ぎるまで刃物を使った山仕事は控えるものとされていた。
 現在、神社役員がかかわる年間行事は、七五三の世話、暮れのオカマジメの幣束の注文の取り次ぎ、初参りの準備と立合がある。中でも近年は大晦日からの元旦三時くらいまでの初参りの参詣者が多くなり、篝火を大きく燃やし暖を取らせ、山神社・皇太神宮のお札、破魔矢、おみくじ、お守りの頒布の希望にも応じるようになっている。
 なお、昭和四十年代末に入居が始まった桜ヶ丘住宅から神社への参詣者も徐々に増えてきたので、旧東寺方の境界域内に居住する桜ヶ丘三丁目みどり会と桜ヶ丘四丁目自治会に、九月祭礼と新年の初参りの催し内容を回覧板で知らせるようにしている。