当社は『延喜式』「神名帳」の多摩八社の内の一社で、安寧天皇十八年二月に兄武日命が祖神を祀り創建されたとの伝承がある。
一ノ宮地区が氏子の範囲で、明治三十三年の「社寺明細帳」では氏子は四〇戸となっている。今日かつての氏子範囲の中には、旧一之宮村の村落組織を継承した一ノ宮自治会(一五〇〇戸)と昭和三十年代後半の宅地開発により成立した桜ヶ丘一ノ宮自治会(三一二戸)が存在している。このうち桜ヶ丘一ノ宮自治会の神社への関与は、例大祭に自治会長が参列はするものの、住民自身の関心は希薄といえよう。
当社は江戸時代から地元の新田家と太田家が世襲的に神主を勤めてきた。しかし、新田家が明治中期に、太田家が大正期にそれぞれ神主を辞して以後は、他村の神主を頼み神事を行い、現在は日野市の神主の滝瀬氏となっている。神社の役職は責任総代が四名(その内の一名はかつての神主家)、それに神主が加わり神社の運営を行っている。さらにその下に任期二年の総代が八名ないし一〇名おり、それらの人たちによって役員会が開かれている。役員会は年度末の三月と、四月と九月の祭典前に召集され、神社の行事、人事、財産などについて討議する。これらの役員は当然のことながら地元の家々の中から出ている。
小野神社では、地域の開発が進み、旧来に比べ住民の氏子意識が曖味になりだした昭和五十五年に、特に積極的に神社の年間行事に関わろうとする地元の住民を中心として協力会と呼ぶ会を組織した。協力会員は少なくとも小野神社の行事や神輿の渡御に積極的に力を発揮しようというものである。平成七年現在の会員は一四〇名ほどで、誰でも加入できるとされてはいるが、結果として地元の子弟を中心とした会員構成となっている。なお、当時から神輿を渡御するには一ノ宮地区だけでは人手が足りず、近隣の神輿愛好会員の協力を得なければならなかった。そこで、市内の落合や府中市住吉町などの神輿愛好者も会員として登録し、会の活力を保つ工夫がなされている。
現在、協力会の役員構成は、地元長老と先の神社総代を顧問と相談役とし、壮年層から会長(一名)、副会長(五名)、理事(二四名)、会計(一名)、監事(二名)が選出されている。年会費一〇〇〇円(平成七年)を納入することで誰でも会員になれるというところから、新しい住民の神社行事への接点となりつつもある。協力会では神社の年中行事への参加のほか、交流する神輿愛好会の関わる神社への神輿担ぎや新春旅行会を設けて親睦を計っている。
写真5-31 小野神社
一方、一ノ宮自治会では、班ごとに神社行事を担当する年番が選出されている。かつて年番とはムラの共同作業の召集役や年ごとの祭礼行事の一切を、区長に代わって分担する実務役を指したが、市街地化が進む中で、それらの機能は消滅し、今日では祭礼のみの業務に限定して使われるようになっている。一ノ宮自治会ではこの年番が祭礼に際しては総代の補助業務や神輿渡御の整理役を分担する。このように祭礼において自治会の年番となることで、新住民も祭りに必然的に関わるようになってきた。
祭礼は、かつて九月九日を本祭り、その前日を宵宮としていたが、昭和三十八年以降は九月第二日曜日を本祭り、その前日を宵宮としている。
宵宮には総代や協力会が主体となって境内の清掃、および境内から川崎街道までの注連縄張りを行い、午後には子供神輿と大太鼓が地区内を渡御する。また、境内ではお囃子が賑やかに催される。
本祭りは、午前中に神社役員、協力会代表、自治会長、その他地域団体の代表者、などが参列して神事を行う。その後、近隣から神輿担ぎの応援に来たものを交え社務所で昼食をすませ、午後一時から夕方六時過ぎまで神輿が地区内を渡御する。途中の休憩は五か所で、休憩所では酒などがふるまわれる。また子どもに飲物やお菓子が渡される。この渡御には大太鼓と囃子(昭和五十三年に地元に囃子連が結成される)の山車も共に巡行する。恒例として毎年神輿担ぎの応援にきてくれる団体には、馬引沢諏訪神社の神輿会、落合白山神社の落合睦会、府中市住吉町小野神社の美野和会、八王子市大塚八幡神社の神輿会などがあり、このほか平成八年には市外から四団体の応援があった。渡御が終わって神輿が宮入りすると、担ぎ手を交えての直会を恒例化している。これらの費用はすべて奉納金と神社の基本財産から支出されることになる。なお、祭礼時の役割分担は別表のようになっている。
表5-4 祭礼の役員と役割 |
総代 | 年番 | 協力会 | 一ノ宮自治会 交通安全協会 | |
作 業 ・ 役 割 | 受付二名 | 奉納札貼役二名 | 祭礼準備 | |
書記役二名 | 式典準備 | 式典参加 | 式典準備 | |
式典司会一名 | 御水舎係二名 | |||
式典準備 | (手水舎/手拭き/紙渡し) | 神輿[大太鼓/山車]渡御 | 交通整理 | |
直会準備・接待 | 式典送迎(金棒二名) | |||
神輿渡御(高張り二名/金棒二名/御先払い二名) | ||||
幟上降し(宵宮/本祭り) | ||||
会計 | ||||
準備・片付け | 準備・片付け | 準備・片付け |
小野神社の境内には、一〇の相殿と秋葉社および稲荷社の末社が祀られている。これら諸社の祭りが、四月第一日曜日に末社祭りとして行われている。本祭りほどの規模ではないが、この祭りでも大人神輿や大太鼓、山車を渡御させ、近隣からの神輿担ぎの応援を得ている。
次に小野神社の主要行事を記すことにする。
十二月第四日曜日には、鳥居・随神門・本殿に懸ける注連縄を作る。注連縄は七~八メートルの長さの太い竹を芯にして、藁で作る。あわせて境内の大掃除も行っている。作業には総代のほか協力会員が出て来る。
写真5-32 小野神社の注連縄作り
写真5-33 小野神社の注連縄作り
十二月三十一日には、元旦初参りの準備として元旦初参り客への接待用の甘酒を仕込む。
元旦初参りは、宮司による除夜祭の後、初参り客に大太鼓の新年初打ちをさせ、破魔矢を頒布する。境内では暖を取りかつ古いお札をお焚き上げする篝火を大きく焚き、甘酒で接待する。これらは協力会などの協力により、昭和五十年ころより始まった行事である。元日は朝一〇時から神主および神社総代が元旦祭の式典を行う、併せて交通安全の祈願も行われる。
最初の午(うま)の日には、稲荷神社の初午祭を行う。
二月第二日曜日には、神主と神社総代により祈年祭が行われる。当日は個人の厄除け祈願を受け付ける。
四月第一日曜日に境内末社の祭典を末社祭りと名付けて行っている。この日は九月の大祭ほどではないが、神輿を渡御させる。平成八年からは地区の児童館と商店会でバザーを実施した。この日境外末社の咳(堰)宮の注連縄が替えられる。
五月五日は、府中市大国魂神社の祭礼である。総代二名が大国魂神社の神事に参加している。協力会員は、五日の神輿渡御や六日早朝に大国魂神社へ神輿を納める、お帰りの神輿担ぎに参加している。
十一月には神主と神社総代により祈年祭が行われる。
当社には末社殿が境内にあり、その中には伊勢両宮・鹿島神社・三島神社・厳島神社・安津神社・子安神社・方便神社・日代神社・愛宕神社・八坂神社が相殿で祀られている。このほか稲荷社と秋葉神社がそれぞれ独立した祠に祀られている。
前述の境外末社の咳(堰)宮は、明治三年の多摩川の洪水にて、上流から流れ着いたものを村人が奉ったものとのいわれを持つ小祠で、堰から転じて咳の神とされている。定まった祭日はないが、戦前までは町田市や八王子市などからも老人の参拝者があった。咳が治るとお礼に竹筒に酒を入れて供え、それが祠に鈴なりに下がっていたという。