浅間神社

422 ~ 424
祭神は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)である。
当社は明治期の神社合祀政策により町田市小野路の小野神社に合祀されていたものを、昭和二十六年十月十五日に旧来の境内地に祀り直したものである。氏子は旧小野路村の小字の一本杉、平久保、荻久保(以上は現在の多摩市域)、大向・中尾(以上は現在の町田市)を範囲としている。規約に基づく氏子の組織はないが、上記の小字の在来家を氏子とし、平成八年時点で約六〇軒が氏子とされている。役員として各字に二名が割り当てられ、その中より総代一名、副総代二名、会計一名が選出されている。神社の維持や祭礼のための費用の徴収はなく、祭礼時の奉納金ですべてが賄われている。
 かつては六月一日を祭礼日としてきたが、近年は六月第一日曜日を祭礼日としている。祭礼の前日に境内の清掃と飾りつけが行われる。祭礼当日の神事は町田市小野路の小野神社を兼務する神主の池田氏によって執り行われ、神事には氏子全員が参列することが建前となっている。
 当社では昔から、オミタラシと呼ばれる眼病に利益のある湧水が境内近くにあり、近隣からの信仰を集めていた。また、本祭りの当日には夏病み除けに効果があるといういまさか餅(大福餅)が縁起物として販売されるのが習わしとなっていた。近年、オミタラシは境内周辺の工事の影響で水脈が切れ枯れてしまったが、いまさか餅の販売は昭和に復活されてから現在まで参詣者に厄除けの縁起物として販売されており、その縁起物を目当てに参詣するものも少なくない。いまさか餅はかつては氏子が用意したが、現在では和菓子屋から仕入れ、祭礼当日には境内に売店が作られ氏子たちにより販売される。
 当社は地域の人々の祀りとして行われているが、その一方、夏の病除けに利益を求める近郊からの参詣人も少なくない。そこで、例年の参詣人名簿にしたがって三〇〇名ほどに祭礼の案内ハガキの発送も行われている。
 祭礼当日の境内では、午前の神事に引続き、午後から素人芝居とカラオケの余興が催されるが、夕方までに精算をすべて終えている。

写真5-34 浅間神社の祭礼

 なお、祭りを執行した六月中に、その年の役員と氏子の中の希望者は自費にて、静岡県富士宮市の浅間神社へ参拝する行事も恒例化している。