愛宕神社

424 ~ 425
今日の永山六丁目一帯は、かつて町田市小野路分の小字に行政区分され、瓜生山谷(うりゅうざんや)と呼ばれた地域である。愛宕神社は、この瓜生山谷の伝統的な近隣自治組織を構成してきた瓜生講中の一五、六軒が共同して祀って来たものである。かつて講中の旧家北島家の持ち山に社殿があったため、多摩ニュータウンの区画整理以後も、北島家の所有地に社殿を遷座させ、祭りもかつてと同様に瓜生講中の家々とその分家が行っている。規約に基づく氏子組織はなく、経常的な神社の維持費や祭礼費の徴収もない。ただし、現在地に遷座してからは、瓜生講中を継承しつつニュータウン分譲地に成立した永山六丁目自治会に居住するようになった新しい住民にも、自治会から回覧板を回し、祭礼への参加を呼びかけている。
 区画整理の始まる前は、鎮守であった小野神社の祭礼に先立ち、小野神社の境内清掃が九月一日ころに行われていた。瓜生講中で祀る愛宕神社の清掃も、その日に合わせて行い、清掃後に講中が境内に筵を敷いて軽い慰労会を行った。この慰労会に合わせて愛宕神社に全員が参ることをもって祭りとするのを習わしとした。
 現在地に遷座した昭和五十二年ころからは、五月第三日曜日を祭日とし、講中の人々が中心に参拝を行っている。神事は池田宮司を招いて行われ、その後自治会集会所を会場として各自の奉納金によって直会を実施する。神事および直会の参加者は、講中とその分家の三〇軒ほどである。これに加えて必ずしも多くはないが、当地に新たに移り住んできてから自治会の役員になった人などが、例年数名ずつ参加するようにもなっている。
 社殿の脇には、区画整理で所在地がなくなった石祠類(「秋香霊神 文化八年 七月十二日」「大六天」「山神」「(祭神不明) 文久八年 神主 重兵衛」「(祭神不明)」)が安置されている。その内の一つは、区画整理前まであった瓜生池に祀られていた弁財天社であるという。