念仏講

426 ~ 432
念仏講は、年配の女性たちが「南無阿弥陀仏」の名号や諸仏の和讃を唱えるもので、表5-5でみるように多摩市の全域で確認できる。一口に念仏講あるいは念仏行事といっても、その詳細を見ると①月並(つきな)み念仏、②彼岸・盆の念仏、③葬式(タノマレ)念仏、⑤家見(いえみ)念仏、⑥地蔵・観音・不動・庚申などの神仏の縁日あるいはお籠りの念仏、とさまざまなものとなっている。また、講行事の参加者の範囲も地区、コウジュウ、クミアイと多様である。これらのうち一般的にはコウジュウを単位とする念仏行事が多いのではあるが、葬式念仏だけはクミアイ単位とするところも多く、これは葬式の始末は組合共同の仕事とする付き合いの慣習が、念仏行事に反映しているといえる。以下、それぞれの念仏行事の特徴を記してみる。
表5-5 多摩市内の念仏講と念仏行事
旧村名(大字) 行事の範囲 行事名・事項・存否  ○=現行、×=中断または廃止
関戸 村全体 ○観音講、地区内の観音寺(真言宗)で毎月十六日に行う
○関戸合戦戦死者供養の念仏、毎年五月十六日観音寺にて行う
上(カミ)の講中(第一・二常会にて構成) ○上の地蔵のお籠り、十月十三日、集会所にて行う
×不動講、毎月十四日宿廻りで「聖不動経」「心経」の読経
○葬式(弔い)念仏
下(シモ)の講中(第三・四常会にて構成) ○下の地蔵のお籠り、十月十三日、宿廻りにて行う
第三常会 ○不動講、宿廻りにて行う
○葬式(弔い)念仏(現在は下講中の半分を構成する第三常会のみが実施)
連光寺
(本村)
上の街道講中 ○葬式の念仏
新田講中 ○葬式の念仏
西村講中 ○葬式の念仏
連光寺
(馬引沢)
上組 ○春秋彼岸の念仏
○葬式の念仏
下組 ○葬式の念仏
連光寺
(東部)
東部全体 ×光地蔵、かつて十一月十四日の晩がお籠り
×葬式念仏、戦前に廃止
貝取 貝取講中 ×地蔵のお籠り
×葬式の念仏
瓜生講中 ○地蔵のお籠り、十月九日
○月並み念仏(三・四・五・九・十・十一月実施)、十六日の念仏とも茶飲み念仏とも言われる
○葬式の念仏
乞田 久保谷講中 ×地区内の地蔵堂のお籠り、十月十五日、戦時中より中断
○春秋彼岸と盆の念仏
平戸講中 ×昭和六十年ころまで年三回ほど念仏講をやった
大貝戸講中(上組と下組で構成) ○地蔵のお籠り、十月十八日、大数珠を廻した
○春秋彼岸の念仏
○葬式念仏(上組・下組に分かれて行う)
永山講中(上組と下組で構成) ○阿弥陀堂のお籠り、十月十八日(大貝戸講中も参加する)
×不動講、戦時中になくなる、現在道具箱のみ講中を回している
×月並み念仏、毎月十六日に行った
○春秋彼岸と盆の入りと明け
○葬式の念仏(上組・下組に分かれて行う)
○家見念仏(平成四年ころに行った)
落合 下落合講中 ○地蔵のお籠り、十月十六日
中組講中 ×地蔵のお籠り、昭和三十年ころに中断
×月並み念仏、昭和三十年ころに中断
×彼岸の念仏、昭和三十年ころに中断
×十月亥の子念仏、昭和三十年ころに中断
×葬式の念仏、昭和四十年ころ中断
山王下講中 ○地蔵のお籠り、十月二十三日
×月並み念仏、昭和四十年ころから中断
青木葉講中 ×月並み念仏
×葬式・年忌法要の念仏(講中の半分を構成する組合にたのむ)
唐木田講中 ×月並み念仏、毎月十六日
×葬式、年忌法要の念仏(講中の半分を構成する組合にたのむ)
和田 上和田講中(第一・二常会で構成) ○地蔵のお籠り、十月二十三日
×五・六・七・八月を除く月並み念仏(第一・二常会に分かれて行う)
○葬式・年忌念仏(第一・二常会に分かれて行う)
中和田講中 ×月並み念仏が春秋彼岸だけとなり、近年それも中断した
×葬式の念仏、昭和六十年ころから中断
関戸並木講中 ○庚申のお籠り、十月初申の日の夜
原並木講中 ○地蔵のお籠り、十月七日
○春秋彼岸の入りと明けの念仏
×葬式の念仏
百草講中 ×正・五・九月の十六日の念仏
○庚申の念仏、十月初申の日
東寺方 有山講中 ×彼岸を含めた月並み念仏、平成元年廃止
×葬式・年忌の念仏
原関戸(宿)講中 ○地蔵のお籠り、十月三日、昭和四十七・八年ころより地元の宝泉院の寺行事となるため、それに参加する
○春秋彼岸の入り明け含めた月並み(四・五・十月)の念仏
○葬式念仏、頼まれ念仏・講中念仏ともいう。ただし範囲は講中の半分を構成する組合に頼む
落川講中 ×庚申のお籠り、十月三日、昭和三十年ころにこの日の女のお籠りの念仏はなくなり、鉦・大数珠は昼間の男の庚申祭りに譲られる。今でも昼間の祀りの参加者は念仏こそないが、ごく簡略に鉦たたきと数珠を廻す
×月並み念仏、昭和三十年ころ中断
×葬式念仏、昭和四十年ころより中断
山根講中 ×観音堂のお籠り、正月十八日、明治期から中断
一ノ宮 村全体 ○地蔵のお籠り、十月二十三日、昭和五十年末に中断、平成二年復活
○四月八日、地元の真明寺(真言宗)の花祭りの念仏
○春秋彼岸の念仏
○×葬式の念仏、平成八年から廃止
小野路 荻久保講中と中尾講中が合同 ×月並み念仏、戦時中より中断
○彼岸・盆の念仏
○葬式念仏(講中単位で行なわれる)
平久保講中 ○春秋彼岸の念仏
○葬式の念仏
○家見の念仏(昭和五十五年の新築時に行なった)
一本杉講中 ×月並み・彼岸・盆の念仏
○葬式の念仏
瓜生講中 ×月並み・彼岸・盆・葬式の念仏
※ 小野路地区の中尾講中を除く各講中は昭和四十八年に町田市より多摩市に編入された地区である。

 月並み念仏は、多摩市のどの地域でもかつて実施していたという念仏行事であるが、厳格に月ごとに行っているところは少なく、多くは師走や正月、養蚕の忙しかった六・七月は省略していた。また、別に春秋彼岸や盆の念仏があることで、そちらに行事を移行したところも多い。
 月並み念仏の日取りは十六日とするところが、貝取、乞田(こった)、和田、落合の講中で聞かれる。市内各地区ごとの月並み念仏の日取りについては不明であるが、十六夜を意識した日取りが設けられていたのかも知れない。
 念仏講の形式は、廻り宿とし夜に行われることが多く、十三仏などの掛軸を出し、鉦に合わせながら念仏や和讃を唱え、大数珠を回すのが一般的である。落合地区では鉦は年長者が叩くものとされ、この人を座配(ざはい)と呼んだりしている。念仏が終ると、宿に当たった家は茶菓や、夕食で人々を接待する。この時間が、念仏講の楽しみの一つともされていた。しかし、またニュータウン建設中の仮住居時代の空白がそのまま、行事の断絶ともなっている。平成七年時点で、市内で行われている月並み念仏は、貝取地区の瓜生講中のみとなっている。

写真5-35 唐木田講中の念仏講


写真5-36 有山講中の念仏講


写真5-37 一ノ宮講中の念仏講

 タノマレ念仏は葬式の晩、講中またはクミアイを単位とする念仏講中が喪家に招かれて弔いの念仏を唱える。別に葬式念仏とも言われる。念仏が終ると喪家では念仏講中にご馳走を出し接待をする。この接待役は喪家の親戚が当たるものとされていた。帰りには仏壇に供えられていた供物の菓子や果物が念仏講中に分けられた。また、引出物として葬式饅頭が配られた。関戸ではこの時の饅頭は青と白の色が着けられた九つで、特別に念仏玉と呼んでいた。

写真5-38 葬式念仏

 タノマレ念仏は葬式だけではなく、四十九日や一周忌、七回忌などの年忌にも呼ばれることがある。近年、廃止する地区も多いが、各家の判断に委ねられる部分が多く、地域によって存続はまちまちとなっている。
 落合地区の中組講中では、十月に亥の子(いのこ)念仏をやったというが、その詳細は不明である。また、新築時に念仏講を招き、祝いの念仏を頼む家見(いえみ)念仏が、小野路地区の平久保(びりくぼ)講中と乞田地区の永山講中で確認された。