関戸の上講中二〇軒では、かつて不動講を行っていた。毎月十四日になると宿廻しによる月番の家を宿とし、年配の女性が集まり不動明王の掛軸を掛け、灯明をともし、賽銭を上げた後に「聖不動経」「般若心経」を唱えた。読経が終ると宿で用意したご馳走を食べ歓談する。この時集まった賽銭は年一度、一月十四日に日野市の高幡不動金剛寺(たかはたふどうこんごうじ)に代表が出かけ護摩を焚き、講中分の護摩札をいただく費用とした。関戸地区の中では、下講中の半分を構成する第三常会の一四、五軒が今も同様な形式で不動講を営んでいる。
写真5-39 関戸地区の不動講(昭和63年)
写真5-40 不動講の供物
乞田地区の永山講中一二軒では戦前まで不動講という講行事を行っていた。しかし、戦後になると講行事はなくなり、以後、成田不動・高幡不動・大山不動・麻生不動の掛軸の入った箱を講中に回すだけになっている。明治二十年から記された「不動尊連名簿」には宿の順や当日に使われた酒・酢・菓子・野菜・素麺などの費用が記されている。