富士講

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乞田地区には富士講があったというが詳細は不明である。貝取地区には富士講の伝承は聞かれないが、「参明藤開山 天下泰平国土安全 角行 食行 山講社 明治十三年 三月吉日 施主 新倉半蔵」の富士講碑がある。和田地区でも伝承は聞かれないが、富士講碑を兼ねた「庚申塔 明治十五年十二月日 和田村下組 願主 露木国蔵 山講社」の庚申塔がたっている。落合地区では『新編武蔵風土記稿』に「中沢ノ山上ニアリ八王子氏道東にアリタカサ九尺ホトナリ」と記される富士塚が村の西北の尾根にあった。ここは一本松とも境松ともいわれ富士登山から帰った時、この場所で、履いてきた古い草鞋(わらじ)を脱ぎ捨てる習わしであった、という。