第五節 現世利益と諸神仏

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 ここでは、今まで紹介してきた神社・小祠も含めて、市内の諸神仏の現世利益にまつわる伝説や信仰習俗を紹介する。地域で神仏が信仰されるのは、それら神仏の御利益や不思議がまことしやかに説かれることによって成立する。
 関戸地区の九頭龍(くずりゅう)神社は、多摩川の水神として崇敬を集めている。また、かつては子どもの歯痛を和らげる神として知られ、祈願して治ると、お礼参りとして山の萩を東ねてお供えとした。
 関戸の上(カミ)の地蔵様は、熱心にお籠りしていたおじいさんに乗り移り、お籠りのつどよく当たるお告げをさせた。
 関戸には、元弘三年(一三三三)五月十六日の分倍河原(ぶばいがわら)の合戦に敗れた鎌倉幕府の総大将北条泰家を守って討ち死にした横溝八郎の墓が、五基の五輪塔として小川家の庭先にあり、また安保入道道忍父子の墓が小山三千夫家の庭にある。昭和三十年ころ地区内で相次いで不幸が続いた折、合戦の死者を無縁仏にしている祟りではないかとの話が出て、以後五月十六日に地区の観音寺で、供養の法要が始められた。この時、戦死者の墓とされる上記二か所に、寺で書いてもらった塔婆を建てる習わしとなっている。
 関戸の井上家では大六天様を屋敷神として持ち山に祀っている。この神は関所の神様であって、村境にあって、疫病神の侵入を防ぐ力を持った非常に強い神様である。そこで地続きの山林を売った時も神域だけは残したと言う。
 連光寺(れんこうじ)地区の馬引沢(まひきざわ)に大六天を祀った祠があった。ある人が引いていた馬が飛んでいた蝶々を踏みつぶしてしまった。その人は家に帰ると案の定、高熱が出て苦しんだ。これはきっと大六天様のお使いの蝶を殺した祟りであろうと、踏みつぶした場所に大六天様が祀られることになった。
 馬引沢の青面金剛像は疫病が流行した折建てられたものだという。
 馬引沢に六部(ろくぶ)の墓があったという。ある六部が諸国巡礼の途中、当地の農家に泊めてもらった折、家人にそろそろ臨終が近づいたので、自分は鉦を持って穴の中に入る。そしてその鉦の音が聞こえなくなったら穴を埋めて欲しいというものであった。本人のたっての願いであるのでその願いを聞き入れたところ、三日三晩で鉦の音は絶え、六部は成仏した。そこでその場に埋葬し、墓石を立てたものだという。
 貝取(かいどり)地区の入口に立つ寛文八年(一六八八)建立の地蔵様は、厄除けの地蔵様といわれる。この地蔵様を一時、地蔵山に移したところ村に大病が大流行した。そこで元の鎌倉街道沿いの現在地に戻したといわれる。
 乞田(こった)三九六番地に祀られる三体の地蔵尊の内の一体はイボトリ地蔵と呼ばれお籠りが行われている。
 乞田地区永山橋の袂に祀られる三体の地蔵は、堰で溺れ死んだ子どもに因んで祀ったとされる。また、地区の鬼門除(きもんよ)けに祀られているともいう。
 落合地区の山王下(さんのうした)講中で祀る瘡守稲荷(かさもりいなり)境内には、鶴を祀る祠がある。かつて鶴がこの山付近から南に飛んで行き死んだのを祀ったものである。鶴牧という地名はこの伝説に由来するといわれる。
 落合地区の中組講中で祀る秋葉神社は、古狐を旅人の火の不始末で焼き殺してしまってから、祟りが続いたため火伏せの神として遠州より勧請したものという。
 落合地区で大松台小学校を西に下がったところに、元禄十三年(一七〇〇)に建立された地蔵は子育ての地蔵として信仰されている。また、道行く人の安全を見守る地蔵とも言われている。
 落合地区の唐木田(からきだ)稲荷神社の森には、美しい娘に姿を変え村人を池に引きずり込んでしまう大蛇がいた。その大蛇を清左衛門という村の青年が退治をしたものの、清左衛門は眼が見えなくなった、との伝説がある。同じ稲荷社の境内に金精様(こんせいさま)が祀られている。子宝に恵まれない女性が、性器を当てると子どもを授かるといわれ、夜こっそりお参りするものもあった、という。
 落合地区の唐木田講中の中の高村家ではオシャモジ様という小祠を祀っている。これは先祖が石神様に供えられた米で病気の娘を治したのに因み、米粒の着いたしゃもじを供えると、風邪に効験があるとされている。近所の高村・古沢一〇余軒でオシャモジ講という宿廻りのお日待ち行事を二月三日に行っていた。
 落合地区で、町田市忠生との境にあった塚を六部塚と呼んだ。昔、乳飲み子を抱えた母親(あるいは比丘尼)がこの塚で付近の農家に子の乳を所望した。そこで、土地の女が乳を飲ませてやると母親は礼を述べ立ち去るが、乳を与えた土地の女は、親子がこの塚で死んで仏になる夢をみてしまう。そこで塚に行ってみると、そこには仏像が座していたという。その後、母親の親戚の六部が信州から訪ねてきて供養をしたが、その六部もここで亡くなってしまった、という。そこで六部塚というのだという。

写真5-67 子育て地蔵

 一ノ宮地区にはイボの神様とされる地蔵様が祀られている。由来は行き倒れの人を祀ったがの始まりという。土地の井上家が祀っていたのをその家の他出とともに地区で祀るようになったものである。

写真5-68 イボ神