この阿弥陀寺の阿弥陀如来が昭和二十六年十二月二十一日に五十嵐明宝氏の母親である妙法尼(明治三十五年生)の夢枕に現われ「当院に有縁の仏であるから急ぎ迎えよ」と告げた。そこで妙法尼が田中家を訪れ夢の次第を話したところ、阿弥陀堂と本尊の阿弥陀如来の寄進を受けた。したがって当寺ではこの日を寺院建立の日としている。
写真5-72 阿弥陀寺
多摩市に移ったのは昭和四十一年である。現在の檀家は約三〇〇戸である。ただし当寺では墓地を持っていないため、布施をする家を檀家と呼んでおり、当寺でいう檀家は一般的には信徒の意味に近い。檀家は多摩地区一帯や都区内や神奈川県に広がっているが、多摩市に住む人が圧倒的に多い。これらは皆当寺が現在地に移転してから新たに檀家になった人たちで、もともと家が真宗であったものが新たに分家して多摩市に住んだので当寺の檀家になったというケースが多い。
檀家総代は五名で、檀家の中から住職が適任者を選んで任命する。職務は住職の相談役ということで、寺の管理・運営は住職が一手に行っている。
正月は元旦に住職が経をあげるが、檀家が集まることはない。
二月の節分会は行っていない。
春・秋の彼岸には内々で彼岸会を行っている。阿弥陀寺には納骨堂があり、ここに遺骨を預けている人たちが集まり経をあげる。
四月二十九日には春の法話会を行っている。これはすべての檀家に通知を出して行うもので、午後一時から永代経をあげ、その後本願寺の布教師の法話を聞き、会食をしている。六〇~七〇人が集まっている。
盆行事はまず七月十三日から十五日にかけて檀家参りをし、先祖の供養をしている。次いで八月十四日には春の法話会と同様の盆の法話会を行っている。
十二月の第二日曜日には報恩講を行っている。これは本来は十一月に行うものだが、十一月は住職が忙しいために十二月にしている。これも春と夏の法話会と同様に、檀家に通知を出し、経をあげ、法話を聞き、会食をするというものである。
平成七年から、五月の連休明けに報恩旅行と称する檀家の旅行を行うようになった。バスを仕立てての一泊旅行で三〇人程が参加する。平成七年は茨城県の親鸞聖人の史跡巡り、八年は越後の親鸞聖人の史跡巡りの予定である。