八王子市では松木に二〇軒、大塚と谷津入に少しあるが、かつての末寺が合併したために吉祥院の檀家になった。府中にも南町と住吉町に五〇軒程度の檀家があるが、由来は不明である。また檀家ではないが日野市の程久保(ほどくぼ)にある観音堂は吉祥院が管理している。
写真5-76 吉祥院
寺の役員としては檀家総代は三人と世話人七人があり、その他に評議員二〇名がいる。檀家総代は落合の川井家、寺沢家、小礒家が代々勤めており、それぞれの家系の本家にあたる。世話人は檀家が多く住む地区の代表で、代々勤めている。七人のうち一人は府中市だが、残りは多摩市内の家である。総代と世話人の合わせて一〇人で世話人会が組織されている。寺の運営全般は総代が協議し、世話人はそれを実施・伝達する、という役割になっている。
当寺では、十二月三十一日の深夜から元旦の未明にかけて住職の祈願のあと、除夜の鐘をつく。これは檀家も含めた参詣者がつくもので、一〇八人目までには記念の札を出している。一〇八人目以降も自由に鐘をついて良いことにしている。また樽酒、甘酒、焼き芋などを参詣者に無料で配る。例年一万人程度の人出となる。
元旦の未明には護摩堂で護摩をたく。これを元朝大護摩修行と呼んでいる。正月三が日には檀家が新年の挨拶に来て、付け届けをする。また近年では正月三が日には境内に達磨市が立つようになった。これは高幡不動の達磨市などに店を出している高崎(群馬県)方面の業者が開くものである。
二月三日の節分会は檀家を呼ぶわけでなく、寺のみで行事を行う。
二月十五日は涅槃会(ねはんえ)。日中に涅槃図を本堂に下げて供養をする。この日は熱心な檀家がちらほら参詣に来る。また本堂は通常は扉を閉じているが、この日は本堂を開けて一般公開している。
春の彼岸には檀家とその親戚による墓参りが行われる。
四月八日の花祭りには花御堂を作って釈迦の誕生仏を出し、甘茶を用意しておく。朝にお経を上げ公開する。この日はかなりの人が参詣に訪れ、誕生仏に甘茶をかけて自分でも一口飲む。またこの甘茶は飲めば病気が治ったり目が良くなったりすると言われており、瓶に入れ持ち帰る人もいる。この甘茶は寺の自家製で、境内にあるアマチャヅルの木から作る。
写真5-77 吉祥院の花祭り
七月の最終日曜日には大施餓鬼会を行っている。これはその家の先祖のうち、戦没者や子どものための供養である。この日には多くの檀家と一〇人程度の僧が集まり供養をする。集まる僧は多摩市内に四か寺ある吉祥院の末寺や、組寺である最照寺と玉泉寺(いずれも八王子市)の僧である。檀家は昼過ぎころから三三五五寺に集まり、寺に付け届けをする。戦前は檀家全員に精進料理を出していたが、戦時中の食糧難を経て、戦後は菓子パンに変わった。午後から説教師が法話をし、その後本堂に作った施餓鬼壇の前で法要を行う。供養する塔婆は六〇〇本にものぼる。
盂蘭盆(うらぼん)は八月十三日が迎えで十五日が送りである。十三日には迎え火の行事をする。早朝に本堂で盆の供養をし、その後一軒一軒全ての墓をまわる。この時ナスコミという米にナスとキュウリを混ぜたものを供える。そして十五日に山門で麦殼をたいて送り火をする。寺では、盆の期間中は毎年檀家の全戸をまわって棚経をする。住職のほか副住職や末寺の人たちが手伝い、一人が一日六〇軒をまわる。お迎え火の行事は十六日に行う。山門で麦殼の火をたいて迎え、その後本堂で(霊が)戻ってきたことの報告の供養をする。なお、一般的に檀家はお盆中は墓参りをしないが、十二日に墓掃除をすることがままあり、また送り火の後で墓参をする家もある。
毎年十二月になると寺ではオカマジメを二〇〇本ほど作って十二月二十日以降に配る。配る先は三分の二が檀家、三分の一が檀家以外の家である。
一年に一度檀家の研修として旅行会を行っている。例年三〇人程度が参加し、四国の霊場巡りなどを行っている。この研修には必ず総代の中の一人は参加するようにしてもらっている。戦前には九月十五日に十一面観音講として夜にオコモリが行われていたが、戦後は廃絶した。なお、当寺は、多摩八十八か所第十四番の札所となっている。