寿徳寺

484 ~ 486
曹洞宗、本尊は観世音菩薩である。当寺の檀家の範囲は広く、檀家が市域北側一円に広がっている。多摩市では東寺方、和田、一ノ宮、関戸、貝取、連光寺の馬引沢に檀家がある。また多摩市以外では、大塚、堀之内(いずれも八王子市)、落川(日野市)、四谷(府中市)に檀家がある。これらの地域に住む檀家は、それぞれの地域ごとに同姓の一族である。落川の檀家は市域の方から移住した人たちという。四谷の檀家は、武田勝頼の家臣一族だったものが甲州から移住したと伝えられる。以上の檀家は皆江戸時代から続く古い檀家で、明治初期でも二〇〇軒はあった。
 現在の檀家の数は約四〇〇軒である。檀家が増えたのは主として旧来の檀家が分家したためである。在来家でない檀家もあるが、数は多くない。在来家でなくても当寺の墓地に墓を持つと檀家になるが、当寺の墓地の面積にも限りがあるので、誰にでも墓地を分譲しているわけではない。
 檀家の組織は、戦前は世話人が二〇人弱おり、その中から住職が総代三人を任命していた。世話人は各地域にある一族の中の本家があたった。現在では世話人は三〇人になっている。地域ごとにグループを作り、その中から適任者を住職が頼んでいる。戦後になって檀家が増えたためにこのようになった。また総代は戦前から住職の任命ということになっているが、代々同じ家の人が勤めていた。東寺方地区の佐伯家、関戸地区の相沢家、府中市の市川家の三家で現在も総代を勤めている。

写真5-81 寿徳寺と境内墓地

 正月には三が日の間法要を行っている。これを修正会という。本堂で経をあげる行事である。これは寺のみで行われる。檀家は二日か三日に新年の挨拶に来る。一月二十六日には道元禅師降誕会を行う。曹洞宗の祖、道元禅師の誕生日である。ただしこの日には檀家は呼ばず、朝方に読経をするのみである。
 二月三日の節分では夕方に経をあげて豆撒きをする。寺のみで行う。
 二月十五日は涅槃会で本堂に涅槃図を下げてその前で読経をする。特に檀家は呼ばないが、参詣に来る人もある。
 三月の彼岸では、中日に本堂を開けて読経をする。檀家は墓参りをする程度である。九月の彼岸行事もこれと同様に行う。
 四月八日は降誕会である。当日は堂の前に花御堂と誕生仏を出し、甘茶を用意する。この日も本堂を開けて朝方に読経をする。檀家は誕生仏に甘茶をかけ、甘茶をいただく。
 施食会(施餓鬼)は五月二十日に行っている。本来は八月七日に行っていたが、集まる僧の日程の関係などから平成四年から五月に移行した。この日には寿徳寺の末寺や八王子、日野、府中、稲城など他市から僧が二〇人ほど集まる。檀家は堂に集まり、説教の後に卒塔婆供養をする。法要が終わると卒塔婆を貰い先祖供養の墓参りをする。
 盆の行事は四回行っている。まず最初の盆行事は新暦に移行した人たちの盆で、七月十三日が迎えで十五日が送りである。この時は主として新盆の檀家を回る。次に日野の落川地区の人たちの盆として七月二十三日に迎え、二十五日に送りの盆を行う。この後府中の盆で七月三十一日迎え八月二日送りの盆があり、更に寺に近い多摩市一帯の古い人たちは、八月十三日迎え十五日送りの盆を行う。これらの盆の行事では盆の三日間の間朝方に本堂で盆の経をあげ、日中は檀家を回って棚経を行う。これを四回の盆ごとに行う。
 秋から冬にかけて、檀家は呼ばずに寺だけで行う行事としては、九月二十九日の両祖忌、十月五日の達磨忌、十一月二十一日の恵山禅師降誕会、十二月八日の成道会(お釈迦様が悟った日)、十二月十三日の開山忌があり、日中に本堂で経をあげる。
 数年に一回旅行会を行っている。これは住職が計画を立てて実施するもので、バスを仕立てて永平寺(福井県)などの遠方に旅行している。参加者は檀家が三〇~四〇人ほどである。