現在の檀家は二三〇軒である。在来家の家の分家も増えたが、それ以上に市域に住まない檀家が多くなっている。観蔵院は京王線の駅のすぐそばにあるため、昭和初期から都区内の在来家でない檀家が増え、現在では檀家の七割を占めるにいたっている。
寺の役員には檀家総代と世話人がある。檀家総代は五人で五軒の固定した旧家が代々勤めている。世話人も五人で在来家の中から住職が任命している。
写真5-82 観蔵院
平成五年に鐘撞き堂を造ってからは、大晦日の深夜から元旦の未明にかけて除夜の鐘を撞くようになり、例年三〇〇人ほどの人出で、先着の一〇八人には記念品をだしている。また地元の商店街の人たちが境内(駐車場)にテントを張って甘酒などを振舞っている。
正月三が日の間は修正会の行事を行う。これは午前中に堂で経を上げる。檀家が三が日の間に集まって年頭の挨拶をし、修正会の時間になると堂の中に入って一緒に修正会を執り行う。この時一部の檀家は墓参りもする。四日になると寺から檀家へお年賀を持って行き、三が日の間の修正会の際にあげた札を届ける。但しすべての檀家をまわることは無理なので市域の檀家だけをまわり、その他の地域の檀家には郵送で札を送っている。二月の節分は行っていない。二月十五日には涅槃会を行うが、これは本堂に涅槃図を下げて住職が経をあげるだけである。
春の彼岸では中日に彼岸会供養を行っている。これは朝早くに寺のみで行う。檀家は彼岸の間に墓参りをする。秋の彼岸も春と同様に行う。
四月の花祭りは以前は四月八日だったが、現在では四月の第一土・日曜日に行っている。これは地元の商店街が一緒になって行うもので当寺の行事の一つの特色になっている。かつて、花祭りは寺だけで行っていた。そのころは誕生仏を入れた花御堂を出していたが、八日が平日であるとほとんど参詣者がなかった。ところが、二〇年ほど前から地元の商店街が花祭り前後の土・日曜日に寺の境内の駐車場を借りて露店を出すようになり、昭和五十六年からこれら二つを合併して四月の第一土・日曜日に一緒に行うようになった。土曜日は花祭りの前夜祭で、商店街が境内の駐車場を借りて舞台を作り、カラオケ大会を行い、参道や寺の前の通りでは商店街の人たちがテントを張って露店を出す。
日曜日には商店街の人たちが許可をとって寺の前の道を午前中歩行者天国にして、町内で作った神輿を繰り出して練り歩く。また商店街では寺の境内を借りて餅つきや野点を行い、参道に露店を出している。寺では本堂の前に花御堂を出し、甘茶を用意する。参詣者は誕生仏に甘茶をかけ、自分でも甘茶をいただく。また寺ではこの日に「花祭りセット」を五〇〇個用意する。これは甘茶のティーバッグと風船、〝お釈迦様が生まれた時のいわれ〟の冊子をセットにしたもので、一個一二〇円で売るが五〇〇個がすぐに売り切れてしまう。なお花御堂はかつては手製のもので、木の骨格に半紙を張り、乾くと紙の花を一つ一つ張っていた。しかし近年に花御堂を新しく購入した。
現在の花祭りの行事は寺と商店街が共同して行っているが、それぞれの行事の内容を両者で協議することはない。商店街が行う行事(カラオケ大会、露店、神輿など)は商店街が独自に決定し、寺の敷地を借りる場合には寺に申し込むという形になっている。
観蔵院では盆の行事を二度行っている。二度とも盆の間は迎えから送りの間、毎朝九時の勤行の後に檀家をまわって棚経をしている。一度目は七月十三日が迎えで十五日が送りである。この七月の盆を行う家は、都内の檀家や市域に住む新住民の檀家が多い。これらの家では盆棚を作る家もほとんどなく、先祖を迎えに観蔵院の墓に参る例も少ない。
もう一つの盆は地元の檀家のもので八月十三日が迎えで十五日が送りである。
施餓鬼は七月盆と八月盆の二度の盆の間をとって八月九日に行っている。この日は昼頃から檀家が集まるので、まず弁当を出して食べてもらい、午後一時から説教となる。説教は説教師に頼んで一時間ほど話してもらう。二時からはお施餓鬼の法要で、経をあげて供養をし、塔婆をあげる。塔婆は法要の後檀家が墓に供えて帰る。お施餓鬼には二五人程度の僧が集まる。集まるのは市域の曹洞宗の四か寺の他、柚木(八王子市)、府中市など教区の法要組合の寺院と住職の友人などである。