写真5-84 真明寺
真明寺が無住だった頃の檀家は約五〇軒で、古い檀家は一ノ宮地区にまとまっており、日野市にもいくらかある。その後分家が増えたり新住民が檀家になるなどして、現在の檀家は無住時代の一〇倍ほどになっている。当寺では墓地の分譲もしているので、新しい檀家の殆どはその墓地を買った家である。
他に府中市にも檀家があるが、これは比較的新しい檀家である。真明寺の檀家のうち、いわゆるハカダンカ(墓檀家)は三軒ある。そのうちの二軒は壽徳寺の檀家で、墓は真明寺の「飛び墓地」にある。この二軒は本家と分家で、法事や施餓鬼などは壽徳寺に頼んでおり、先祖代々の塔婆も壽徳寺で供養したものを立てる。しかし棚経は真明寺の僧が出向き行う。施餓鬼は壽徳寺とは別に真明寺の行事にも参加する。また、御詠歌講や旅行会などは真明寺の側に参加している。
寺には二人の檀家総代と八人の世話人がいる。総代は対外的・法律的な代表である責任役員を兼ね住職の相談役となる。役員以外に世話人八人がいる。これは寺と各檀家との仲介役で本家筋にあたる家の人が勤めることが多い。
寺への檀家の付け届けは十二月十五日と八月十二日(現在は八月の第一土曜日)に行う。当寺はもとは無住だったので、付け届けは役員が集めていたが、正月に集めると役員が大変なので、正月と年末を避けて十二月十五日に集めるようにした。しかし客殿ができたので平成七年からは檀家を集めて護摩供養を行うようになった。また八月十二日は真明寺の施餓鬼の日で、この日に付け届けをしていたが、平成七年から施餓鬼が八月第一土曜日になったので、付け届けの日も移動している。檀家は、供養の後に墓参りをして帰る。
元旦には朝方に寺で祈祷をする。ただし平成七年から正月に檀家を集めて護摩供養を行うようになった。
節分の行事は寺だけで行っている。この日は朝の勤行をすませると、住職はすぐに高幡不動(日野市)に行き、他の末寺と共に高幡不動の豆撒きの手伝いをする。
春秋の彼岸の期間には檀家が墓参りに訪れる。
四月八日の花祭りの日には本堂の下の段に花御堂を飾る。この日には檀家や近隣の人が参拝をして誕生仏に甘茶をかける。この日の夜には地域の念仏講の人たちが寺に集まって念仏をあげる。施餓鬼は従来八月十二日に行っていたが、平日だと檀家が集まりにくいということもあって、八月の第一土曜日に変更した。当日は午後二時から法話で、午後三時から一時間程度で法要を行う。この時に塔婆供養を行い、塔婆は古くからの檀家は持ち帰って盆棚に立て、新しい檀家は墓に立てて帰る。当日は多摩市内の真言宗の寺を中心に八人程度の僧が集まって法要を執り行う。
盆行事は七月十三日~十五日、八月一日~三日、八月十三日~十五日の三度行っている。多摩市内の古い檀家は八月十三日~十五日に盆行事を行う。その他の二度の盆行事は新しい檀家の盆行事だが、府中市の檀家は八月一日~三日に盆行事を行う。一〇年ほど前までは日野市の檀家が七月二十三日~二十五日に盆行事を行っていたが、戸数が少ないこともあって七月十三日~十五日と八月一日~三日に分けた。盆の行事としては、寺では朝お勤めをして日中は棚経に各家をまわる程度である。八月十三日~十五日に盆行事を行う古い檀家は、以前は十三日に寺の墓で提灯を灯してそれを持ち帰り、家の門口で藁を燃やしていたが、現在では墓の掃除をするのみになっている。また十六日の送りでは提灯を持って墓参りをし、墓で提灯を消して塔婆を立てて帰ったが、現在では塔婆を立てるだけになっている。
一ノ宮地区では念仏講があり、年間五回集まる他、葬儀の際にも集まって念仏をあげていたが、平成八年の四月から廃止することにした。
当寺では念仏講の他に遍照講多摩支部という御詠歌講がある。これは現住職の津守弘覚氏が住職となってから組織され、構成員は主として檀家だが、近所の檀家ではない人も二人加わり、毎回一五~二〇人ほどで、毎月第一、第三水曜日の午後に行っている。この講では平成三年ころから一月七日までの間に成田山や川崎大師などに初詣でを行っている。これには講員の他に檀家も加わり、大型バス一台程度の人が参加する。御詠歌講の他に、二年に一度寺の旅行会を行っている。これは本山参りなど二泊三日程度の泊まりがけで行っている。