煤掃きと障子張り

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十二月の二十日過ぎに煤(すす)掃きをした。卯(う)の日は神様が降りてくる日とか忌み嫌う日などといわれ、卯の日には煤掃きはしなかった。さて、当日は、鍋・釜からたんすや畳まで一切を外に運び出しての大掃除であった。この時期は好天の日が多いが、霜が降りるため、庭がぬかるんでおり、麦ワラをまき、莚(むしろ)を敷いてから家具や畳を外に出した。煤を掃くには、山から切ってきた真竹や篠竹を束にしたものを使った。まず、神棚を篠竹の束で掃き清め、それから他の部屋へ移る。天井や床は真竹(まだけ)で掃いた。掃き終わると、奥の部屋の畳から入れた。冬は日が短いので、すべてが片づくのは日暮れ近くであったという。
 煤掃きの日の夕食は、蕎麦(そば)やうどんを打ち、豆腐汁などを作って一日の労をねぎらった。また、座敷に切ってある炬燵(こたつ)を使い始めるのもこの日である。
 煤掃きが終わると、天気のよい日に障子の張り替えをした。小麦粉を煮て糊を作り、きれいに洗った桟(さん)に新しい障子紙を張った。

写真6-1 障子の桟を洗う(昭和18年)

 屋内の囲炉裏(いろり)や竃(かまど)で薪を焚いて生活していたころは、家中が煤けてしまうので、定期的に煤を払う必要があった。囲炉裏や竃を使わなくなってからは、煤を掃く必要はないが、正月を迎える準備として、神棚を拭き清めたり、ふだん手をかけていない場所の掃除をする家が多い。