年神を迎える

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十二月末になると、神社や寺院からオカマジメが配られる。オカマジメは、何本かの幣束(へいそく)とミソカッパライとで一揃いになっており、オカマジメを出す神社や寺院によって組み合わせが違っている。たとえば乞田(こった)地区の吉祥院では、年神の幣束、荒神の幣束(三本)、水の神の青い幣束、便所神の赤い幣束、ミソカッパライの七本で一揃いになっている。それぞれの家での祀り方があるため、幣束の数は若干の違いがある。関戸地区の観音寺では、幣束の上部に荒神には赤い色紙、井戸神には青い色神を四角に切ったものを貼り、また、幣束をともに戸守りという札を出している(写真6-3、図6-2)。また、落合地区の白山神社では、近年、便所神の赤い幣束を出すのをやめており、オカマジメの配り方にも変化が出ている。

写真6-2 オカマジメを切る


写真6-3 オカマジメ一式(観音寺)


図6-2 オカマジメの切り方

 年神は、トシガミサマといった。注連縄と同じように一夜飾りをさけて三十日までに祀る。今ではたいへん少なくなったが、かつては、座敷の中に年神棚を作る家もあった。暦をみてその年の恵方を調べ、座敷の中の恵方にあたる隅に棚を吊った。家の作りによっては恵方に棚を作るスペースがないこともあり、恵方に限らず、神棚の隣に吊る家も多かったようである。和田地区には平成八年現在でも年神の棚を吊る家があるが、この家では毎年同じ場所に年神の棚を吊っている。棚は、厚めの板や、割った竹や、カツンボとかカツネンボイとよばれる木の枝を簀子(すのこ)状に編んだものなどであった。
 落合地区の年神の祀り方の例をあげると、図6-4のようになる。棚は天井から縄で吊し、年神の幣束、お供え、お神酒、灯明を上げ、注連縄を張る。注連縄は、ナワダレとよばれる縄に藁を下げたものである。年神の棚の横には、白い手拭いと麻をかけた。

図6-4 年神の棚
(多摩市教育委員会製作ビデオ「多摩の四季と暮らし」と聞き書きより作図)

 年神の祀り方は家ごとの違いが大きい。乞田地区の例では、年神の棚に、お供え、洗米、麻、箸を一二膳供えたという。現在では行われておらず、一二膳の箸の意味は伝えられていない。
 一ノ宮地区では、神棚の端に手拭いと麻をのせ、そこにお供えと幣束を置いたものを年神とよんだ。現在、この家では、手拭いと麻は使わず、半紙の上にお供えを置いている。関戸地区にも、神棚の隅に年神を祀った家があるが、そこでは輪切りにした大根に幣束を刺したという。
 年神の棚を作らず、床の間に祀るだけの家もあった。床の間に年神を祀る家では、天照皇大神の掛け軸をかけることが多かったようだ。そこに、お供えとお神酒を上げ、床の間の上部に注連縄を張った。
 年神がどのような神様かという伝承は少ないながらもいくつか伝えられている。その一つはその家の先祖が年神になるという伝承である。また、「卯の日に年神があがる」と伝える家はいくつかあって、乞田地区永山では、卯の日になると、それが二日であっても、もう年神への供え物をしなかったという。一ノ宮地区では、初めての卯の日に幣束を下ろしてジョウグチに刺し、すべてのお飾りをはずした。