門松を立てるのは、二十七日、二十八日または三十日であった。落合地区中組では、共有地であるマグサ場から一〇年目くらいの松を間引いてきた。地区によっては適当な山を持っていないこともあり、山のある家からもらったりしたが、門松だけはよその家の山から切っても許されたともいう。松は、いわゆるサンガイマツ(三階松)とよばれる枝が三段になっているものを用いる。門松を一組作るには、黒松(雄松)と赤松(雌松)の二本を用意した。立てるときは、栗などの木で杭を作り、ジョウグチに杭を打って、そこに松を結んだ。七草のあとに門松をはずし、杭を抜いた跡に門松の一番上の部分を折ってさしておく。この松は枯れるまでそのままにしておく。門松は、ジョウグチばかりではなく、屋敷神の祠などにも立てた。普通、松の芯とよぶ、真っすぐに伸びている上の部分を門松にした。落合地区では、根元の部分からは、三本の薪を作ることがあった。この薪はオニウチマキ(鬼打ち薪)という。家の入口に杭を打ち、杭に松と竹を縄で結び、オニウチマキを三方にたてかける。これを入口の両側に作った。
戦後まもなく、役場から山林の保護のために松を伐らないようとの通達があり、門松の代わりに門松の絵の紙の札が配られたことがあった。通達と門松の紙札の配布は何年か続き、これを境に門松をたてなくなった家も多い。
写真6-6 紙に印刷された門松