繭玉・アボヘボ

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若餅をつくと、男性は山へ行って繭玉を飾る樫の木を切ってくる。その後、厩(うまや)から敷き藁を全部出して新しいものに替えたり、堆肥を出して切り返しをしたりした。
 堆肥をきれいに積み替えると、アボヘボを作って堆肥の上に刺した。アボヘボとは、竹の先を八等分に割って、ニワトコとかカツンボの木を刺したものである。粟(あわ)の穂、稗(ひえ)の穂の意味だと伝えられている。

写真6-12 アボヘボの製作

 アボヘボが終わると、ニワトコの枝を切り揃えて三本ずつ藁で束ねたものを作る。これは俵の意味だといい、神棚、仏壇、荒神、屋敷神などに供えた。
 男性が厩の藁を替えている間、女性は繭玉を作った。繭玉は、洗った米を生乾きのうちに粉に挽いたもので作る。粉は、十三日までに用意しておく。繭玉は蚕がよくできるようにと願うものだといい、白くて形のよい団子にまるめ、蒸籠で蒸かした。丸くまるめるこつは、手のひらに二つずつはさんでまるめることだという。このときにセーノカミで焼く団子も作るが、これは、繭玉よりも大きく作った。
 だいたいこのくらいの作業を終えると昼食になった。午後は、学校から帰ってきた子どもたちも交え、家族みんなで繭玉を飾った。きれいに洗った石臼を座敷の中央に置き、切ってきた樫の木を石臼の穴にさし、動かないように杭を入れておく。樫の枝には、繭玉の団子やみかんを飾った。セーノカミに持っていく樫の木は、枝の先が三つ股になるように切り、先をとがらせて団子を刺した(写真6-13)。床の間には、蚕の神の掛け軸を掛け、俵に見立てたニワトコを飾った。

写真6-13 セーノカミの繭玉作り

 アボヘボや繭玉は、昭和二十四、五年あたりからやめてしまった家が多い。