初午

524 ~ 525
立春の後の初めての午の日を初午という。屋敷神に稲荷をまつっている家では、赤い旗を立て、赤飯、油揚げ、メザシ、豆腐などを稲荷に供えた。屋敷神の祠の屋根の藁を、初午の前日に葺き替える家もあったという。
 講中を単位として稲荷を祀っているところでは、講中の稲荷社へお参りに行った。たとえば落合地区山王下の瘡守(かさもり)稲荷社では、ストッコという藁を束ねた容器に、赤飯、メザシ、油揚げを入れて講中の人々が参拝しにきた。今ではストッコは使わないが、稲荷社の入口の木には太鼓が吊され、お参りにきた人が叩いていくことは以前と同じである。

写真6-17 初午の供え物

 初午に稲荷講をした講中もあった。たとえば落合地区中組では、初午の前に稲荷講があった。昭和の初めごろでは米三合とお神酒銭を一〇銭(または二〇銭)集め、宿になった家に集まって、赤飯や煮しめを食べ、話し合いをした。一ノ宮地区では初午の前日にビシャ講があり、一ノ宮地区の稲荷の祠を掃除し、幟を飾り、当日は赤飯や鰯、油揚げ、お神酒を供えた。この日は「火ばやい日」といい、朝の一〇時前にはお茶を入れずに白湯を飲んだ。