田植え・植田上がり

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田植えのことをウエタとよぶ。田植えはだいたい六月二十日ころから始まった。卯の日には田植えをさけた。また、半夏生(はんげしょう)が過ぎると一穂について三粒ずつ収穫が減るといわれ、半夏生までには田植えを終わらせるようにした。しかし、この時期は養蚕に忙しく、結局田植えがすむのは半夏生を過ぎた七月十日くらいになったという。田植えのあと、ウエタ上がり、またはマンガアライ(馬鍬洗い)といって、田植えが終わった祝いをした。
 乞田地区永山ではマンガアライといい、田植えが終わると、マンガなどの道具を洗ってお神酒をかけて片付けた。落合地区青木葉(おうきば)では、田植えのあと、夏上がりといって嫁に赤飯を持たせて里帰りさせた。実家では、海苔巻きや五目ご飯などのご馳走を作って待っており、婚家に帰るときには、うどんや五目ご飯を土産に持たせた。一ノ宮地区では、農作業に使った道具を洗い、苗の束を荒神に供え、灯明をあげる家があった(写真6-19)。

写真6-19 荒神に供えられた苗束

 いずれにしても農繁期の貴重な休み日であり、田植え正月、三日正月などといって、ムラでいっせいに仕事休みをとった。