オカマの団子

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十月三十日に団子を三六個作り、オカマサマに供えた。これをオカマの団子という。和田地区では、一升の米の粉で三六個の団子を作るともいう。オカマサマは三六人の子どもがおり、この団子を土産に持って出雲へ旅立つのだといわれている。
 三六個の団子は子ども一人に一つずつの意味であるが、一ノ宮地区では盛りこぼれといって生まれなかった子どもの分を二個を足して供えたという家もあった。『多摩町誌』によればこの日オカマ風が吹くといい、一か月後にオカマ様が出雲から帰ってくるのでオケエリ(お帰り)のダンゴを同様に供えた所もあったという。