大師

540 ~ 540
十一月四日を初デエシ(大師)、十四日を中大師、二十四日をシメエ大師といった。また、小豆粥を作ることからこれらの日を大師粥ともよんだ。
 小豆粥といっても、家によってさまざまであって、乞田地区永山の例では、四日は小豆をいれた粥、十四日は、小豆を入れた飯、二十四日には団子に小豆を煮てかけたものであった。はじめは水分が多く、だんだん水気の少ない食物にしていくのはどの家も共通であり、これは、田の水がだんだん少なくなって刈り入れには田がからからになることを表しているのだともいう(落合地区山王下)。ほかの例を上げると、四日小豆粥、十四日小豆飯、二十四日小豆と蕪を入れた団子(落合地区山王下)とか、四日小豆粥、十四日太いうどんを入れた小豆粥、二十四日小豆飯(一ノ宮地区)などがあった。
 この大師粥の日の天気で、翌年の作柄を占うこともあった。つまり、四日に天気がよければワセ(早稲)が当たり、十四日に天気がよければチュウ(中稲)が当たり、二十四日の天気がよいとオクテ(晩稲)が当たるといった。