現在続いている年中行事のうち、昭和初期と現在とで日取りが変わったものに、神社の祭礼や風祭などがある。これらは、村や講中など、地域社会が母体となって行う行事であり、いずれも以前の日取りに近い日曜日になっている。
たとえば、秋の旧村単位の祭礼は、かつては八月下旬から九月下旬にかけて行われていたが、昭和三十七年から九月の第二日曜日に統一された。この日は、市内のあちこちで祭り囃子が聞こえ、多摩市全体が祭り一色となる。
風祭りは、かつては、村の中にフレが回り、風祭正月とも称したように、三日間の農休みになっていた。この行事は、戦後は自治会に引き継がれて、いくつかの自治会ではうどんを作って親交を深める行事として残されていたが、それも次第に少なくなっている。
また、講なども、多くは休日に行うようになってきている。これらの日取りの変化は、行事の担い手が、農業から勤め人になってきたことによるものである。
多摩市の農業の衰退とともになくなってきた行事も多く、繭玉やアボヘボのような予祝儀礼は今ではみることはできない。繭玉もごくわずかの家が行うのみとなった。節分でも、豆まきやヤキカガシは形を残しているが、「粟の虫の口を焼け」のようなヤキカガシをつくるときの呪文は忘れられている。