時代はずっと後になるが、明治四十四年二月九日、B家に正直という子が誕生した。二月十一日には、三つ目ぼたもちを一重宛(重箱入り)で配っている。誕生では祝いをもらう。綿入れ、胴着、襦袢(じゅばん)、木綿黄縞、帽子、紋付きなどの衣類や布、白米、鰹節、砂糖(白砂糖・黒砂糖)、鯣(するめ)などの食物、その他に麻や紙などが贈られている。誕生祝いであるが、金銭を合わせて贈っている者、日本橋(中央区)という遠方のためか金銭のみを贈った者がいることが注目される。
この祝いのお返しには、重箱入りの赤飯と蕎麦(そば)を返している。
出産後初めて母親は実家に子どもを連れていく。これをオシンキャクといい、この新客祝いでは三月十八日から、半紙、真綿、布地、鯣などが贈られている。このお返しは、五〇銭・三〇銭・二〇銭などの金銭と半紙、鯣、鰹節、三盆(さんぼん)白砂糖と菓子などである。これは、子守にもあげている。
四月になってくると、節供の祝いとして鯉幟、玩具、幟竿、五月人形、掛軸、そして幟代として一円から二〇銭~三〇銭の金銭などが贈られている。このお返しには、赤飯一重(重箱)と柏餅一重(重箱)、笊(ざる)入りの蕎麦などを、五月一日と二日の二日間で配っている。
十二月には、弓破魔(ゆみはま)が贈られている。この弓破魔は、大きさが問題で、長さ三尺五寸幅七寸半、長さ二尺五寸幅五寸四分、長さ二尺 幅四寸五分、長さ四尺八寸 幅二尺四寸などと記載されている。明治四十五年四月二日付けで、「種痘を執行 種痘見舞に菓子を頂戴す」と記され、菓子をいただいた五軒の方の名が書かれている。このお返しには、「右返祝強飯(こわめし)一重宛とす、五月四日に配る」とある。
三歳の祝いでは、縞反物一反、縞木綿半反、銘仙表半反と裏半反などが贈られている。この記録には、「祝支出」の項があり、お返しの様子を知ることができて貴重である。