写真7-5 香でん悔受覚
写真7-6 安政二卯八月廿六日香でん悔受帳(表紙)
赤飯が葬式に贈られるのは、今日の一般的な感覚からすると奇異であるかも知れないが、濃い親戚のものから赤飯が贈られたことは伝承でも確認されており、こうした民俗が幕末にも行われていたことを認めることができる。
やはりA家では、翌安政三年(一八五六)八月に、幼い三歳の子を亡くされている。二〇〇文が一四名の者から、他に一朱、二朱が各一名から贈られている。合わせて、一六名の者がかかわっている。前述のものと比較しても、子どもの葬儀のためか、規模は小さくなっている。
安政二年(一八五五)に没した方の一周忌には、一分、一朱が各一名、二〇〇文が四名、一〇〇文が四名、線香をくれた人が三名、蝋燭(ろうそく)をくれた人が二名である。幕末の葬儀での香典などは、すでに金銭が中心となっている。安政四年(一八五七)の三回忌では、一分、一朱が各一名、二〇〇文が五人、一〇〇文が四名、蝋燭二名、線香四名が贈っている。