昭和の初めから昭和二十年代においては、男性は二七から二八歳、女性は二五から二六歳が結婚年齢で、初婚がほとんどであった。一つ違いの姉(あね)さん女房は金の鞋(かねのわらじ)を履いてさがせ、などといって良いことだといわれた。また、男女の年齢が三歳とか六歳離れた嫁はミツメとかムツメといわれて、これも良いものとされた。逆にヨメ・トメはもらうなといわれ、四歳とか一〇歳離れた人は避けられた。また、丙午(ひのえうま)や五黄(ごおう)の寅の嫁、ミトラサル(巳・寅・申)の嫁も嫌われたという。
結婚相手の範囲はムラの内での結婚が多かった。関戸地区や一ノ宮地区では多摩川対岸の府中市の中河原、四谷、住吉から嫁に来る場合が多い。乞田(こった)地区や落合地区では、山を越えた八王子市の大塚や東中野から来る場合が多い。夜遊びに行く地域と通婚圏は一致する。