墓制

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墓は、ハカとかオハカと呼び、埋葬した場所に石塔を建てる単墓制である。墓は本家と分家とが同一の墓所であり、多くは家の近くにあった。しかし、昭和四十年代から五十年代にかけては、区画整理などで、共同墓地や寺の墓地に移した。この、墓地を移すときは、古い墓を掘り起こして骨を拾って一度焼き、僧などに供養してもらってから新しい墓に納骨した。

写真7-48 共同墓地
(連光寺地区馬引沢)


写真7-49 屋敷の中にある墓(和田地区)


写真7-50 数軒でまとまってある墓(和田地区)


写真7-51 共同墓地
(連光寺地区東部)


写真7-52 共同墓地改葬の供養(昭和59年)